民主主義ってナンダ?

 民主党と維新の党がくっついて、ついでにいくつか吸収して『民進党』。一昨日(3月27日)、その結党大会の様子をテレビのニュースでやっていた。見るともなく見てしまったが、奥田愛基氏が登壇し一席ぶっていた。そう、安保法案に反対するラップで注目を集めた日本の学生運動SEALDsの代表だ。求心力に欠ける新政党としては、注目度の高い広告塔が欲しかったのだろう。奥田氏側は、既存政党の色を付けられないよう距離を置いているものと思っていたが、既に共産党色がベットリと濃厚についてしまっていただけに、もうちょっと薄い色に塗り替えようと言う思惑もあったのか。ま、それはともかく、これは国際的に非常にマズイと思った。何より台湾に対して申し訳が立たない。
 『民進党』というワード、結党したばかりなのにワープロが一発変換してくれるのだが、これは台湾のおかげだ。今年1月の選挙で国民党を下し、新大統領の座を射止めた蔡英文さんの支持政党『民進党(民主進歩党)』と同名なのである。もちろん、こちらが本家である。その本家『民進党』の躍進を支えたのも、台湾の学生運動だ。『ひまわり革命』と呼ばれたその学生運動は、経済だけにとどまらない支那による支配力の排除が目的だ。報道の自由も言論の自由もない支那の台頭で、台湾には文字通り民主主義の危機があったのだ。
 ここで再び翻って『日本の民進党』と学生運動である。
 本家がやっていることや主張していることと真逆なのである。日本の安保法の破棄は、世界中で支那一国をのみ喜ばせるものである。そして、政治的盲目国家の南北朝鮮が、宗主国に同調して賛同しているだけだ。そして、支那や南北朝鮮に媚びまくるのを是とするあまり、やはり政治的盲目となった『日本の民進党』がそれに続いているのである。
 『日本の民進党』の主張することが実現したらどうなるか? それこそ、支那の思うつぼで、日本からは報道の自由も言論の自由もなくなってしまう。政権批判に至っては言語道断。彼らの大好きなラップ集会を国会(天安門)前でしようものなら、人民解放軍がやってきて人民に向かって水兵射撃だ。
 そんなことも分からない彼らが盛んに歌って叫ぶ『民主主義ってナンダ?』だとか、畏れ多くも『われらの声こそ民意』などという主張の根拠はどこにあるのだ? 選挙で多数派になれなかったから野党をやっているんじゃないのか? ノイジー・マイノリティの主張が多数派と言うのなら選挙なんて要らないということになる。夏祭りの余興で大声大会でもやり、そこで政策を決めれば良いということになる。あまりにも頓珍漢すぎて頭が痛くなる。
 盲目が故の無知で済まされることではない。東京オリンピックのエンブレムであれだけ痛い目を見たはずなのに性懲りもなくパクリを繰り返すばかりか、本家の趣旨を真逆に貶めるとは。『日本の民進党』は、無知というよりも無恥だ。恥を知るべしである。
 それに、そもそも、次の選挙で負けたら黙ってくれるのか? 負けてもどうせラップをがなりつづけるくせに。でも、それこそが『民主主義』だとは思わないか。支那に支配された国では絶対にできないことだ。
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将来の日本を担う若者へ

 先日、将来の学者さんになるであろう大学院生の男の子二人と会話する機会を得た。
 一人は帰国子女ということもあり英語がペラペラ。もう一人はこれからアラビア語を習得するとのこと。二人ともいずれ海外で活躍されるだろう逸材だ。当然、ボクよりもIQは高かろうし、ボクごときが対等にお話しできるのは今の内だけというのは分かっているのだが、飲んだ勢いもあって日本の近現代史についてエラソーに講釈してしまった。
 ただ、これから海外に出ていこうと言う二人が、一人は海外で生まれ育ったと言うこともあるが、二人ともゆとり世代ということも加わり、日本人なのにあまりにも日本のことに無知だったのだ。憂国の50代としては黙っていられなくなった心情も汲んでいただきたい。
 ノーベル物理学賞をもらうような日本を代表するような学者さんでも、専門外のことにはあまりにも無知だったりする。そして無知な故に無知な発言をしてしまい、左巻きな連中の広告塔に使われてしまったりする。時には支那や朝鮮など、海外の反日勢力の理論的裏付けに使われてしまったりする。そんなことにならないよう、日本人としての軸足をきちんと持ってほしい。
 以下、そんな願いから彼らに送ったメールです。日本の正しい近現代史を知るのにお薦めの本はありますかという彼らからの質問に答え、約束を守って後日メールしたメールの全文です。
PS
 お勧めの入門本として、現在読んでいる途中の『ナポレオンと東條英機(武田邦彦)』も追加です。



 これはボクの造語ですが、日本人には『ウルトラマン症候群』とでも呼ぶべき病があります。『水戸黄門シンドローム』と呼んでも良いです。これは、勧善懲悪を愛するあまり、「正義は必ず勝つ」「悪は必ず滅びる」という単純な物語を単純に信じ込んでいることを指します。この病が厄介なのは、こじらせると『勝った方が正義』で『負けた方が悪』という、これまた単純な図式に書き換えてしまいます。
 しかし、現実の世界はウルトラマンとは違います。必ずしも正義が勝つとは限りません。悪が勝つこともあるのです。それなのに、ウルトラマン症候群の日本人は、太平洋戦争で負けたんだから自分たちは『純粋に悪』だったんだと単純に思い込んでしまうのです。更には、ドイツと同盟を結んでいた日本は『ナチスと同じくらいに悪』だったんだと簡単に信じ込まされてしまうのです。 ※注)支那事変が泥沼化したのは、支那の後ろにドイツ(ロシアとアメリカも)がいたからです。日独伊三国同盟はそれらの国際情勢を読み損ねた最悪の国策ミスでした。
 よく言えば、これは日本人の『潔さ』から来るものです。潔さは美徳でもあるとは思うのですが、ウルトラマン症候群と結びついてしまうと、『敗者=悪』となったからには弁明や言い訳などの見苦しいことはよそう、という考え方になってしまいます。誤解を恐れずに言えば、「潔く腹を切ってお詫びしよう」と考えてしまうのです。現代社会においては、切腹の習慣がなくなったので、その代替行為として、「死にも値する猛烈な反省と贖罪をしなければ」という考え方に至るのではないでしょうか。すなわち、それが自虐史観につながっていると思うのです。

 お酒の席でも言いましたが、天皇を『Emperor(皇帝)』と訳したのは大誤訳です。この誤訳のせいで、天皇は日本の専制君主として君臨し、大日本帝国軍の全権を掌握し、酒池肉林の暴虐の限りを尽くしているかのような印象を植え付けられるのです。もしかしたら誤訳ではなく、天皇のイメージを貶めるために意図的に皇帝と結び付けられたのかもしれません。
 天皇は、日本の国を創った神様の子孫であり、日本に暮らす人々の共通の先祖です。家族や友人や先祖を大切するのと同じ感覚で天皇を大切にし、親しみを感じつつ敬っていたのです。一時期、天皇の訳語は『pope(法王)』や『ancestor(先祖)』などが近いかもと思う時期がありましたが、やはりこれらも大誤訳です。天皇は『万世一系の世界に比類なき唯一の存在』なので、『sushi』や『tenpura』と同じく、訳語がないというのが正しいです。
 日本軍の兵士を『皇軍』と言いますが、誤訳に基づく天皇観から、「天皇の権威に於いて暴虐の限りを尽くして戦い、略奪や女性の凌辱を許された軍隊」と思っていないでしょうか。皇帝を頂点に戴くロシアの兵隊は、実際、皇帝(ロシアの場合は「ツァーリ」)の名において略奪や強姦を許されていました。兵士の戦意を高揚させるため奨励すらされていました。そもそも戦場での略奪や強姦は、兵士の権利でもありました。
 しかし、本当の『皇軍』の意味は真逆です。「天皇の名を貶めたり辱めたりしないよう規律を守って正々堂々と戦うことを義務付けられ、それを誇りとした軍隊」です。黒船来航で開国した日本は、欧米諸国から不平等条約を押し付けられました。その不平等条約を平等に正すため、日本も世界の一等国として認めてもらえるよう富国強兵に努めました。国際法や条約を厳守して外交に努めました。戦争法なども詳しく研究し、戦場では常に規律正しく戦いました。大東亜戦争で敗れるまでは、日本軍の規律正しさは世界で認められ、尊敬さえされていたのです。しかし、戦争に敗れたが為に、勝者によって歴史が書きかえられたのです。
 ちなみに、『生きて虜囚の辱めを受けず』という東条英機の有名な戦陣訓がありますが、これの本来の意味を知っていますか? 「味方の秘密を漏らすといけないから敵に捕まったら拷問を受けて自白する前に自殺しろ」とか「敵に凌辱されてまで生きようと思うな。日本人として潔く死ね」という意味で、大日本帝国軍が兵隊や国民の命を軽く見ていた証のように言われますが、実はこれも本来の意味は違います。
 実はこの戦陣訓の誕生は日清戦争にまで遡ります。当時、第一軍の司令官だった山縣有朋が、捕虜を残虐になぶり殺す支那軍の所業を目の当たりにして、「敵国は極めて残忍の性を有す。生摛となるよりむしろ潔く一死を遂ぐべし」と訓示した、この言葉が元になっています。つまり、捕虜は保護するのが国際的な条約だったにもかかわらず、支那人は条約など無視して捕虜を殺す。しかも楽しみながら残虐に殺す。捕まったら苦しめられて殺されるのがオチだから、助かる見込みはないから、楽に自害して死んだ方が良いという意味なのです。


 最近のニュースで
「……が海外でも高く評価されました」
「……中韓の反発が懸念されます」
 こんなリードや結びの言葉をやたらと聞かされるのは、日本人がそのアイデンティティを見失っているからです。本多勝一とか吉田清治とか朝日新聞とか、アイデンティティを持たない連中や組織が、日本を売って海外からの評価を買っているのです。
 日本のメディアが海外から褒められたり評価してもらうのは、ある意味簡単なのです。原爆や都市空襲や東京裁判などで後ろめたさのある戦勝国側(連合国=The United Nations=国連)は、日本側からの積極的な懺悔や告白ほどありがたいものはないのですから。
 ボクが戦勝国による洗脳から目が覚めたのはここ数年です。(ちなみに『洗脳』は中国語です。英語の brain washは中国語を英語に充てて造られたものです。)40代後半で目覚めたボクは遅きに失したところがありますが、君たちはまだ若いです。しかも、これから世界に出ていこうとしています。世界で活躍してくれるだろう君たちには、是非、日本人としてのアイデンティティを軸足に持っていてほしいと思います。アイデンティティがあやふやなまま海外に出ると、性善説で心優しい日本人は面白いように相手の国の色に染められてしまうだけです。日本は、中国や韓国が喚きたてているような悪い国ではありません。本当は素晴らしい国です。日本人として自信を持って世界に羽ばたいてください。

 長々と書き連ねてしまいましたが、そろそろ終わりにします。これ以上ボクの言うことを聞かされても、今はまだ受け容れきれないでしょうし。
 でも、もし興味があったら、この続きを自分たちで調べ勉強してください。ボクも勉強をつづけます。

 以下、調べ始めるに際して良いとっかかりになるキー・ワードを添えておきます。

○GHQによるWGIP(War Guilt Information Program)
○国体を解体するための神話教育の禁止
○撫順戦犯管理所での洗脳と中帰連(中国帰還者連絡会)
○プロパガンダに過ぎない南京大虐殺と従軍慰安婦

 以下、推薦できる著者・著作。

○西尾幹二 『GHQ焚書図書開封』シリーズなど。特に『10:世界侵略の主役イギリス』『5:ハワイ、満州、支那の排日』『6:日米開戦前夜』などは驚きの連続。とても勉強になるシリーズ。
○倉山満 強烈な語り口だけど分かり易い。『嘘だらけの○○近現代史』シリーズなど。
○藤原正彦 『国家の品格』『日本人の誇り』は、入門書として最適かも。
○竹田恒泰 『アメリカの戦争責任』など。『古事記』関連の分かり易い本も多数。
○櫻井よしこ 元テレビ・キャスター。
○井上和彦 『日本が戦ってくれて感謝しています』など。
○渡部昇一 保守の重鎮。
○宮崎正弘 同上。

 外国人の立場で書いてくれていて分かり易いところで、
○ヘンリー・S・ストークス
○石平
○呉善花
○黄文雄

 さらに分かり易いところで、
○ケント・ギルバート この方も最近になって洗脳が解けた。

 読みごたえのあった翻訳本として、
○『暗黒大陸 中国の真実』 反日思想の米人が書いた中国評。
○『人種戦争(レイス・ウォー)太平洋戦争 もう一つの真実』

 など、ざっと思いつくところを挙げてみました。

PS
 ここ数年で洗脳の解けた人は増えたと思いますが、まだまだマイノリティです。この手の考えを共有したり、人と話したりするときは、よくよく相手を見てからにしてください。不用意に自分の意見や考えを明らかにすると、ボクのように大切な友人と疎遠になる可能性もあります。

この国は誰のもの?

 「韓国死ね」「中国死ね」と言えばヘイト・スピーチと批判されるが、「日本死ね」と言うと弱者の声だと絶賛される。 この国に暮らしているのは誰? この国は誰のもの?

 マスコミの重要な役割の一つに、『権力の監視』があると聞く。国家権力が暴走しないように見張るのだそうだ。しかし、暴走しているのはマスコミの方だ。監督官庁が現行法の解釈についてコメントしただけで、言論弾圧だとか民主主義の危機だと騒ぎ出す。誤植も含めて一字たりとも憲法は変えさせないなどと言っているのと同じ口が言うのである。
 この国の国民は、マスコミに飼い馴らされ、平和は無料(タダ)だと思っている。平和ボケで付和雷同なこの国を支配するのはポピュリズムだ。マスコミが絶対的な権力者なのである。マスコミの暴走は誰が見張るの?

何なんだよマスゴミ。
9条あれば平和なんじゃねーのかよ。
昨日見事に北朝鮮のミサイル落ちたわ。
どうすんだよ私、生活出来ねーじゃねーか。
何が平和憲法だよクソ。
新聞とってラジオ聞いてテレビ見てヤフーニュースもチェックして受信料納めてるって言ってるのにマスゴミは何が不満なんだ?
子供産んだはいいけど拉致られた子供取り戻すのほぼ無理だからwって言ってて子供産むやつなんかいねーよ。
デモしてもいいし阿倍首相ディスるのもどうでもいいから防衛費増やせよ。

こう書くと、ネトウヨ扱いされてポイなんだよな。でしょ。

SEALDsと東アジア若者デモってなんだ!

 今日(3/13)、新宿の歩行者天国で初めて生SEALDsを見た!
 世代のせいもあるだろうが、リーダーの奥田愛基くんの歌うラップが「ショーコー、ショーコー、ショコショコ、ショーコー、アーサーハーラー彰ー晃ーっ!」に聞こえてきたから不思議だ。
 それにしても、大手マスコミが言うことを鵜呑みにしたらいけないんだってことを改めて痛感した。大手新聞やテレビは、あれを1千人とか1万人デモとか書くんだろうけど、取り囲む支援者はせいぜい100人程度。しかも、そのほとんどは白髪かハゲ頭の爺さんばかり。60年、70年安保で不完全燃焼だった爺さんたちが、自分たちの年金を稼いでくれる現役世代を応援しているという構図だ。日曜日の新宿ブラリを楽しむ家族連れや若者たちは、彼らを遠巻きにして素通りしていた。そりゃそうだ。普通に生きていたら修学旅行でもない限り近寄ることのないだろう国会議事堂の前で騒いでいるだけなら害はない。テレビで見ているだけならともかく、いざ生で彼らの主張を聞かされてしまうと、誰もがおかしいと感じるはずだ。何しろ彼らは、「支那が日本に攻めてきたら、可愛い子どもも愛しい恋人も差し出しますから殺して下さい」と歌って踊っているのだ。
 運動会の徒競走でも順位が付かなかった競争嫌いのゆとり世代的発想なのかもしれないが、競争を拒否した『無抵抗』が平和を生み出すのなら、チベットの僧侶たちが虐殺されるはずはなかった。マハトマ・ガンジーが相手にしたのは、落日に向かい始めた大英帝国だったことくらいは認識しておいてほしい。また、ガンジーの無抵抗が大英帝国への対抗手段になり得たのは、その前に『アムリトサルの虐殺』などの尊い犠牲があったことも知っておいてほしい。

 福島香織著『SEALDsと東アジア若者デモってなんだ!』は一読に値する。
 福島氏ご本人の本当の思いまでは知らないが、この本は非常に公平なバランスを保って書かれている。SEALDsの彼らを読み解くのに良いサジェスチョンを得ることが出来る。
 福島氏は、当初、台湾の『ひまわり革命運動』をテーマに本を書こうとしていたらしい。だが、日本では台湾への関心の薄さから需要がなかろうと没になっていた。それが、SEALDsが大手マスコミに祭り上げられたのを機に、彼らを搦めた企画に補正することで日の目を見たとのこと。福島氏はSEALDsの奥田氏にも取材を申し込んだが、取材依頼を数週間も無視された挙げ句に拒否されたとのこと。それでも福島氏は、彼らの素養の高さや頭の良さを認め、彼らなりの愛国心があるという意外性にも気付きつつ、共産党のような既成政党やテレビをはじめとする大手マスコミに消費されないよう、影ながら忠告を投げかけてあげている。

 台湾の『ひまわり革命運動』は、当初の国会占拠こそ半計画的な偶発的暴走だったが、リーダーの林飛帆(りんひはん)や陳為廷(ちんいてい)らが、落としどころも見据えたカリスマ的な統率力を発揮し、既成政党も運動に巻き込んで成功に導いた。何よりも、中国に呑みこまれたくない台湾人のアイデンティティに貫かれた理想的な学生運動だった。
 普通選挙を求めた香港の『雨傘革命運動』は、一国二制度の前提をなし崩しにして香港が支那化されるのに耐えられない若者たちの闘いだった。しかし、地続きのために台湾よりも強い支那の支配下にあるという不利な状況で、圧倒的なリーダーを欠き、落としどころのない要求を掲げてしまい、既成政党の支持も得られないまま不完全燃焼に終わってしまった。
 中国の学生運動は、そもそも中国共産党の圧倒的な力で押さえ込まれている。天安門事件をかすかに記憶している80年代生まれは潜在的な恐れがあって活動できない。事件そのものを全く知らない90年代生まれは暴走しかねない危うさがあるが、一人っ子政策の小皇帝として育てられたせいで、痛いの苦手なもやしっ子ばかり。天安門を何となく記憶している親から止められて結局動けない。
 韓国の学生運動は語る価値なし。そもそもよく知らない。
 読み終わってからしばらく経つので記憶違いがあったらごめんなさいだが、『SEALDsと東アジア若者デモってなんだ!』はおおよそそんな趣旨だった。

 世界史上にも稀な貧富の差を生み出した支那共産党への恐怖が行動の原動力になっている台湾や香港の若者たちと比べ、日本のSEALDsの体たらくである。まるで真逆だ。(そもそもなんで英語表記なんだ! 鼻持ちならない。いかがわしい。)
 フェイスブックのイイネが欲しいのか、ツイッターのフォロワーが欲しいのか知らないが、ラップで目立ちたいだけにしか見えない。仲間内のカラオケで盛り上がってくれている分には害はないが、自分たちが歌っていることのすべてが実現したら、日本というこの国がどうなるか考えてみたことはあるのだろうか? 支那に取り込まれたいのか? 支那の自治区の一つになって、チベットの僧侶たちのように虐殺されたいのか? そうなった時、SEALDsと名乗っていたラップ・グループのメンバーは焼身自殺でもして支那に抗議してくれるのか? 実効的な政策案はなにもないくせに、事実をねじ曲げたレッテル貼りだけが得意な烏合野党に持ち上げられた時点で、己の間違いを悟っていただきたいものだ。『安保法案』が『戦争法案』だって? 君たちが言っていることのほうが、むしろ『戦争誘致法案』なんだよ。

殺されたミンジュ

☆☆ (広くにお薦めはしないが一見の価値あり)

 監督のキム・ギドクは、新作が来ると必ず観に行くボクが大好きな映画監督の一人である。韓国映画では唯一だ。
 『鬼才』という表現が彼ほどピッタリな映画監督はいない。画面からヒリヒリと伝わってくる痛いほどの暴力性が一貫したモチーフになっていて、不条理な物語が持ち味の彼だが、本作はとりわけ意味が分からなかった。
 映画を観た後に読んだパンフレットで知ったのだが、タイトルにある『ミンジュ』とは、韓国語で『民主(主義)』の意味になるらしい。冒頭で殺される女の子の名前でもある。これを踏まえた上で観れば、もう少し作品の理解に近づけたかもしれない。
 ところで、韓国で公開された時の原題はハングル文字で3文字。これを直訳すると『One On One(一対一)』となっている。本国では、『殺されたミンジュ』というストレートな表現では上映できなかったのだろうか?

 韓国と言えば、一応西側陣営の一員で、普通選挙や三権分立もある法治国家のように見える。が、それは錯覚に過ぎない。法律よりも国民の感情や世論のほうが優先し、史実や科学的な事実よりも自分たちに都合の良い虚構やファンタジーを信じている。竹島も、慰安婦も、徴用工も、対馬の仏像も、産経新聞ソウル支局長の起訴も、数え上げたら切りがない。
 しかし、切りがないのは日本への言いがかりだけではない。国内問題もうんざりするほど山積みされている。GDPの7割を財閥系トップ10社が占める極端な財閥支配社会や、内需を切り捨てた輸出依存による経済構造などで、庶民は不満や怒りで爆発寸前、いや爆発している。賃金労働者の離職率や、酒暴事件の発生率、障害者差別などなど。異様なまでの自殺率の高さにその歪みがよく現れている。特に際立っているのが老人の自殺率で、2011年の統計で70歳以上の高齢者の自殺率は10万人当たり約160.4人(日本は14.6人)である。性犯罪も多い。ありもしなかった慰安婦問題を世界に広める暇があったら、ライダイハンを何とかして欲しい。どこから手をつけていいやら分からないほど問題が山積みだ。セウォル号の沈没など些細過ぎて霞んでしまう。まぁ、国内のことだし、自分たちに都合の悪いことは、頬被りして無視すれば良いのかもしれない。事故の時に大統領が男といちゃついていたとしても致し方あるまい。
 前置きが長くなったが、キム・ギドクはこれらの国内問題を、隠喩や暗喩で作品中に表現しているようだ。しかし、プライドばかりの高い韓国人には、自分たちの負の部分をクローズ・アップされるキム・ギドクの存在は疎ましいらしく、韓国国内ではまったく評価されていないらしい。実際、製作費も集まらないらしくて、前作の『メビウス』以降、経費削減のため監督が撮影も兼ねるようになったらしい。
 非常に残念なことに、韓国内でのキム・ギドクの嫌われようは、ジャーナリストからも同様のようである。一昨年、ボクは韓国のTVジャーナリストと話をする機会があった。その時、キム・ギドクに対する彼らの評価や、世間での評判を知りたくて質問した。が、ボクの質問に対し、彼らは一様に顔を見合わせ、言葉を詰まらせた。しばらくして、言いにくそうに、
「ユーモアあふれる優しいあなたが観るべき作家ではないです」
 と否定されてしまった。
 ありもしないことを捏造までして自国を貶め、自国の悪評を世界に広げることに喜びを求める日本のジャーナリストとはまるで真逆の反応だった。日本のジャーナリストにも、彼らのような愛国心が欲しいものである。

『恨(ハン)』ではなく『羨(セン)』の国、南北朝鮮

 水爆実験(ホントは原爆?)やらミサイル発射やら、年が明けて以降もヤンチャっぷりが止まらない北のショーグンさま。南のオジョーさまはおろおろと狼狽えるばかり。世界のケーサツさまが南のお手伝い(合同軍事演習)にやって来ると、ショーグンさまはショーコリもなくまたしてもミサイル発射。なにやら朝鮮半島がきな臭くなっている。
 すると、オジョーさまの取り巻きたちが、「俺たちも核武装すべきではないか」と言い出した。この発言に対し、とある識者がストンと腑に落ちることを言ってくれた。
「彼らは、核を保有している北が羨ましいのです」
 と。
 この識者のご意見、ボクが以前から思っていたことと一致する。

 よく朝鮮人のことを『恨(ハン)』の国だと言う人がいるが、この認識は浅い。彼らの本質は『羨ましい』もしくは『嫉(妬)ましい』だ、とボクは分析している。『恨』だとか言うから、まるで日本が連中から恨まれるような何か悪いことをしたかのように勘違いしてしまうのだ。ハッキリ言わせてもらうが、日本は、あの半島に棲む連中に何一つ悪いことはしていない。敢えて一つ挙げるとすれば、それは、日本が戦争でアメリカに負けたことだけだ。
 彼らの反日の根っこは『羨ましい』であり『嫉(妬)ましい』だ。支那を宗主国と仰ぐ彼らには、支那の『中華思想』に倣った『小中華思想』があり、自分たちより支那の遠くにある日本を勝手に見下していた。にもかかわらず、19世紀末の近代化の波に洗われて以降、日本に勝てる要素が何もないことに気付かされ、日本が羨ましくて嫉(妬)ましくて仕方ないのである。自分たちが日本に負けていることを認めたくなくて、認めるのが悔しくて『恨み』に思っている部分はあるかもしれないが、基本は『羨ましい』である。時の運があれば勝てることのあるサッカーの試合などで、やたらと日本に突っかかってくるのは、そんなねじくれた思いの表れなのである。
 北も南もひっくるめ、あの半島に巣くう人たちの習性は、強い者に媚びてへつらうということで共通している。事大主義というヤツだ。清の時代まで支那が強いと思えば支那に媚び、支那が日本に負けると日本に媚び、三国干渉で日本が弱みを見せるとロシアに媚び、ロシアが日本に負けるとまた日本に媚びた。そして、日本がアメリカに負けると、勝ち馬のアメリカに飛び乗り、後ろ足で日本に砂をかけるという具合だ。
 ボクは人種差別を嫌悪しているし、何人(なんぴと)も人種差別をするべきではないが、残念ながら彼らの行動を見ていると、どうしようもなく劣った人種に思えて仕方ない。そもそも、彼ら自身がとんでもなく人種差別的な考えの持ち主なのである。彼らの宗主国・支那の影響かもしれないが、彼らは黒人を差別する。(この件に関しては長くなるので、その実証は後日別項を立てる。)支那も彼らも欧米諸国の白人に対しては小心なところがあるが、黒人に対しては昔から居丈高だ。だから今のアメリカを下に見ているのかもしれない。歴代大統領の中でも下から数えたほうが早い程度の資質しかないオバマ氏ではあるが、彼らはそんな分析をしながら国際情勢を見ていない。彼らが見ているのはただオバマ氏の肌の色だけだ。だから2009年以降、アメリカを軽視するようになり、日本も軽視するようになり、かつての宗主国・支那にすり寄るようになったのだ。ちょうど支那がオリンピックを開催したばかりで、GDPも行け行けゴーゴーで上昇している時期でもあった。まぁ、そんな状況分析はともかく、ただ単に彼らにとっては、支那の庇護下にいるのがいちばん居心地が良いのであろう。
 数年前から指摘されていることだが、南半分の朝鮮は着実に李氏朝鮮時代に回帰している。しかし、宗主国・支那への依存も含め、北の半分はとっくの昔に李氏朝鮮化している。核のことに限らず、あらゆる面で南は北を羨ましがっているのだろう。せっかく日本が近代化の手助けをしてあげたというのに、嘆かわしい限りである。ほとほとどうしようもなく救われない人たちである。

 大陸から『盲腸』のように突き出た『朝鮮半島』のことを、ボクは以前から『盲朝半島』とよんでいた。盲(目の見えない)朝(鮮人)という意味にもなるので、我ながら上手いこと言ったなぁと自負していたのだけれど……、腫れ上がらないうちにモウチョウは切った方が良い。

『カエルの楽園』

 著者は百田尚樹氏。今の出版界を支える大ベストセラー作家にして、「人間のクズ発言」や「沖縄の新聞2紙は潰さないかん」などの真実発言、おっと暴言や放言でも知られる。
 本作は、その百田氏が痛々しいまでに身を削って出版した『意図的な駄作』である。『永遠の0』も『海賊とよばれた男』も、あれほど読まれていながら何も伝わっていない虚無感からこの本を書かれたのであろうとお察しする。ボクは読んでいて痛々しい気持ちしかしなかった。
 大ベストセラー作家の文章についてボクごときが云々するのは烏滸がましいが、敢えてこちらも暴言させてもらえば、『カルの楽園』は小説としての体を成していない。カエルを人に見立てた寓話小説なのだが、分かりやすさに主眼を置くあまり、表現があまりにもストレートすぎるのだ。隠喩や暗喩であるべきところが、そうなっていないのである。帯に『全国民に問う、衝撃の結末。』と書いてあるが、ボクには何のひねりも感じないし、当たり前の結末でしかない。それに、この結末を衝撃ととらえる左巻の連中には、今まで同様どうせ何を言っても響かない。実に痛々しいかぎりだ……。
 ご自身の輝かしいキャリアに汚点を残してまで、こんな駄作を出版しなければと百田氏を追いつめてしまった今の世を憂う。まさか、百田氏、割腹自殺でもする気ではあるまいか? そんな心配をしてしまう作品である。

『カンフー・パンダ3』が支那で大ヒット!

 支那の共産党は、先週末に開かれた全人代で、貧困層をなくし国民の所得倍増を実現すると宣言した。同時に、痛みを伴う産業の構造改革を行うとかで、国営企業を統廃合するとのこと。推計で600万人の失業者が生まれるかもしれないという。
 大量の失業者を生み出し、同時に内需を拡大して所得を倍増する。
 矛盾しているとか、いつもの大嘘吐きがいつもの大風呂敷を広げていると馬鹿にしてはけない。(自称)5千年の歴史と知恵の蓄積を持つかの国である。やると言ったら本当にやる。例えば、13億いる国民のうち、所得の低いほうから順番に半分殺してしまえば良い。(もっとも、残った共産党員の所得を倍にしようと思ったら、人民の9割9分を殺し尽くさなければ計算が合わないか?)実際、朝鮮戦争ではそうやって戦った。それに、少なくとも4千万、人によっては6千万とも1億とも言われる死者を出した文化大革命を起こした国だ。その文革の指導者が、今もなお国民の英雄になっている国なのだ。その英雄を崇める後継者が今の最高指導者になっている国なのだ。それくらいのことは簡単にやってのけるだろう。
 その支那でハリウッド製のCGアニメ『カンフー・パンダ3』が大ヒットしているらしい。シリーズの前2作が公開されたときは、支那はまだ海外の映画を国内市場に入れていなかった。しかし、数年前からようやく制限や検閲付きではありながら限定的に海外映画も公開するようになった。このチャンスを、お金大好きのハリウッドが見逃すはずがない。日本がバブル景気で狂騒していた80年代には日本に投資したように、今はチャイナ・マネーを掻き集めるのに躍起だ。支那寄りの企画や、支那を舞台に書き換える企画が目立つようになった。
 その逆に、支那が気を悪くしないように配慮するパターンもある。例えば、ブラッド・ピットが主演・製作した『ワールド・ウォーZ』がそれだ。ゾンビ・ウィルスで人類が絶滅に瀕するというパニック映画だ。ハリウッドが大好きな題材でありながらリアリティはゼロのゾンビ・ウィルスだが、まぁ、それはさておき、原作はそのウィルスの発生源が支那になっているらしい。あぁ、それならあり得るかも……というのもさておき、映画はその発生源が、支那ではなくてインド(パキスタンだったかな?)に変更されていた。もちろん、支那で公開するのを前提にした変更だ。
 あれ? でも、ちょっと待てよ。ブラピと言えば、『セブン・イヤーズ・イン・チベット』なんて映画にも出ていなかったっけ? ダライ・ラマにシンパシーを持っているのかと思ったけど、結局はお金なの? そう言えば、『セブン・イヤーズ・イン・チベット』は中国で上映禁止になったもんね。それに、その頃の奥さま(まだ交際中?)はジェニファー・アニストンだったけど、今は人権派活動家としても有名なあのアンジェリーナ・ジョリーだもんね。あ、アンジーと言えば、『カンフー・パンダ』シリーズで声優もやっていたっけ。夫婦そろってパンダ・ハガー(パンダを抱く者=親中派)で時事音痴で歴史音痴ってことですか?

 最後にひと言。
 パンダは中国の動物ではありません。チベットの動物です。
 最後の最後に、もうひと言。
 そう言えば、支那の今の最高指導者には、官製のパンダのアニメ・キャラがあるとのこと。柔和なイメージで国民の人気を取ろうというのがその狙いらしい。

サウルの息子

☆☆ (一見の価値あり!)

 アウシュビッツの収容所で、大量虐殺されたユダヤ人の死体を処理するために働かされたユダヤ人捕虜の特殊部隊『ゾンダー・コマンド』を描く。
 主人公のサウルは、殺された死体の中に(見つけたときはまだ息があった)息子を見つけ、その死を弔ってやろうとする。その姿が軸になっているのだが、収容所内には捕虜たちのクーデター作戦も水面下で進行していて、サウルの行動で作戦の遂行が露見の危機に晒されたりする。サウルの気持ちは重々分かるが、いささか利己的な行動に見えてしまい、今一つ感情移入できない部分もあった。
 そんなプロットの賛否はともかく、この作品で描かれている『歴史的事実』と『表現技法』は議論の余地なく凄まじい。この作品はカンヌのグランプリとアカデミー賞の外国語映画賞を受賞したわけだが、この2点への高い評価に負っていることは間違いあるまい。
 まず『表現技法』だが、カメラはほとんどサウルのバスト・ショットかアップで押し通される。もちろん狙いであろうが、画角も今時珍しいスタンダード・サイズなので、画面のほとんどはサウルの顔か後ろ頭だ。背景や状況は画面のわずかな隙間にしか写りこまないし、その写りこみで説明していく。ところが、カメラの絞りを開放気味に照明も落として撮影しているのであろう、視写界深度が極めて浅く、写り込みの状況描写はピントがボケボケなのだ。そのピンボケな中で陰惨極まる虐殺が展開するという描き方である。チラリズムと観る者の想像力でホロコーストの残虐性を描いていくのである。
 そして、『歴史的事実』についてである。
 が、何故か、ボクは敢えて穿った見方をしてしまった。大きく2点ある。

 まずは、やはり日本への言われなき誹謗中傷である。
 日本とドイツは第2次世界大戦時に同盟を結んでいた敗戦国同士ということで、どういうわけだか日本もナチスの悪行に連座させられる傾向にあるのである。(「どういうわけだか」と書いたのは皮肉です。)ドイツは日本と同盟を結んでいながら、支那に武器を供給したりして日中戦争を長引かせる一因になっていた、その程度の同盟であったにも関わらずである。ところが、そもそも日本軍にはナチスのような悪行を働いた史実がない。にもかかわらず、アメリカは日本に対して、ドイツに対して行った以上の蛮行を働いた。非武装地域の市民をターゲットにした都市空襲や原爆実験などがそれである。アメリカが働いたそれらの蛮行を正当化するためにも、日本にはナチスと同等の、もしくはそれ以上の蛮行を働いたことにしなければならず、結果、ありもしなかった日本軍の蛮行が捏造されてしまうのである。朝日新聞の創作でしかない事実無根の『従軍慰安婦』や、本当は中国軍が自国民に対して行った虐殺なのに日本軍がしたかのように喧伝されている『南京大虐殺』などは、その好例である。かてて加えて、国際的な評価や賞賛を欲しがる日本人がマスコミを中心にやたらと多いという厄介な問題があり、そんな日本人自らが嬉々として捏造と広報に精を出しているのだから始末が悪い。
 この映画のようなナチスモノを観るにつけ、そんな言われもない誹謗中傷が日本国内で巻き起こるのではあるまいかと勘繰ってしまう、今日この頃なのである。

 2点目は、誤解のないように説明するのが難しいが、ドイツ人への微かな同情である。
 もちろん、ユダヤ人虐殺のホロコーストは史実であり、ナチスの行為は許されないことなのだが、この手の作品を観ていて、時に疑問に思うことがある。それは、ナチスの党員すべてが何の迷いも良心の呵責もなくユダヤ人を殺していたのだろうかという疑問である。その割合は分からないが、一人や二人は、もしかしたら少なからずの人数が、大勢に逆らいきれずに仕方なくホロコーストに加担していたのではないか、と思うのである。いわゆる戦争アクション映画であれば、悪役のナチスが無個性の画一的なキャラクターとして描かれていても大して気にはならない。だが、ある程度以上のリアリティが盛り込まれている作品であれば、あるいはそんなナチス党員が描かれることがあっても良いのではないかと思うのである。もちろん、上映時間の尺の都合もあるわけだし、放送法で決められているわけではないのだから対立意見も平等に取り上げられなければならないわけではないが、たまにはそんな映画も観てみたい気がする。そういえば、ポランスキーの『戦場のピアニスト』に、多少の温情を表すナチスが一人出てきたが、それ以上は思いつかない。まだまだ己が不勉強なだけか?

不屈の男 アンブロークン

★★ (見る価値なし)

 監督はブラッド・ピットの妻で女優のアンジェリーナ・ジョリーである。養子にした子どもたちの子育てに忙しいのか、乳がんになるのが怖いからとおっぱいを切り取る手術からの恢復に時間がかかったのか、最近は出演作の公開が減ったが、それでもアンジーと言えば日本でもそれなりの集客力を持った人気女優さんである。監督作も2作目でそれなりの集客は見込めただろうに、本作は日本での劇場公開が遅れた。あやうく劇場未公開になるところだった。その理由は、内容が反日的だったからと言われた。
 ボクは昨年末、タイ旅行に行く飛行機の中で見た。テキトーに飛ばしながらではあるが。が、見た結論から言えば、内容の反日性と言うよりも、アンジーの監督としての無能さを曝け出さないための保護処置だったと言うべきだろう。

 本作は、実在の元オリンピック選手で、第二次大戦に従軍し、日本軍の捕虜になって終戦を迎えたルイ・ザンペリーニを主人公に映画化したものらしい。
 原作は、そのザンペリーニが自身の戦争体験を書いた手記をもとに、ローラ・ヒレンブランドという女性が書いた小説である。その原作本をボクが読むことはないだろうが、聞く話によると、反日本というよりもトンデモ本の部類らしい。なんでもその本によると、日本には人食いの風習があるらしく、日本軍がアメリカ兵を生きたままで食べるシーンが描かれているとのことだ。
 当時の日本とアメリカは、戦争でお互いに殺し合わなければならない敵同士である。相手へのリスペクトなど邪魔にこそなれ、あるはずはない。もちろん、戦時中は日本人も欧米人を『鬼畜米英』と呼んで人扱いしていなかった。それは欧米人もお互いさまで、日本人のような黄色人種は白人の奴隷をやっているのがお似合いの劣等人種と見做していた。戦争が始まるに至っては、人でもない『虫けら』として扱っていたからこそ、虫けらが湧いている二つの都市を標的に原爆実験もやってのけれたのである。
 しかし、戦争も終わり70年も経つのである。その間に、日本人に人食いの風習がないことや、なかったことは、もうちょっと世界的に認知されていても良いのではないか。少なくともアメリカ人くらいは、こんな低レベルの誤解を抱いていないと思っていた。原作が戦時中や終戦直後に書かれたのならいざ知らず、ローラ・ヒレンブランドという原作者の女性は1967年生まれでまだ50歳にもなっていない。映画『シービスケット』の原作も書いた人だ。それなりの知性や教養はあると思うのだが、それほどの人をしても尚、いまだに日本に対する認識はこの程度なのかと思うと、なんだか絶望的な気持ちになる。
 ちなみに、ロッテン・トマトの評価は51%。ただし、これは批評家によるもので、観客評は70%に達している。一般的アメリカ人の歴史認識は、やはりこの程度ということであろう。まぁ、戦勝国に敗戦国が何を言っても負け犬の遠吠えではあるが……。
 ただ、日本に対する認識度はその程度だとしても、この原作は、日本を除いたところにもおかしな描写が満載らしい。ザンペリーニは搭乗していた爆撃機を撃墜され、救命ボートで海を漂流するのだが、あり得ないようなサメとの格闘が描かれていたりするとのこと。そんなサバイバル描写からして、原作はトンデモ本扱いなのだと言う。
 ところで、この救命ボートの話を聞いて、すぐにピンと来た御人も多いかと思う。そう。日本人ではなくてザンペリーニ自身が、死んだ仲間を食べて生き延びたのであろうということだ。そのことを隠そうとしているうちに、日本人が仲間を食ったというように記憶が書き換えられたのだ。ま、さしずめ、そんなところだ。悪いことや負の部分は、全部まとめて敗戦国の日本に押し付けておけばいい。負けたんだから、奴らは文句も言わないし。
 そんないささか怪しげな手記、およびその手記をもとにした原作を映像化した本作ではあるが、人肉食いのシーンはなかった。少なくとも飛行機の上映版にはなかった。劇場公開版にも、輸入盤ブルーレイの特典映像(カットされた映像)にも、人肉食いのシーンはないらしい。
 そのシーンを描かなかった真意は不明だが、結果としてアンジーはまだマトモであったと言えるのかもしれない。いや、親日的とさえ言える。作り話丸出しな詐欺師の話でも、日本を貶める道具に使えると思うと、嬉ししょんべんを垂れ流して自らもねつ造記事作りに熱を上げ、作り話をてんこ盛りに盛りあげた、あの、あの従軍慰安婦報道で有名な、あの朝日新聞よりは、いくぶんかアンジーのほうが親日的だ。

 史実やリアリティよりも、とにかく何でもいいから日本人が悪いことをしているシーンが好きで好きでたまらないと言う支那人や朝鮮人、それに反日日本人の人にはお薦め。

『習近平暗殺計画』

 つまらない本を買ってしまった。本屋で手に取ることもなく、新聞の広告文句に釣られ、アマゾンでポチッとやってしまった。後悔しきりである。冒頭の数章、中を所々つまんで数十ページ、こんだけ読んでお終いだ。税込1728円。あぁ、もったいない!
 筆者(加藤隆則氏)は、本書のために読売新聞を退社した人物。10年間を北京特派員として過ごたらしい。帰国間際、タイトルにある暗殺計画があったことをスクープしたにも関わらず、掲載を拒否され、辞表を提出し、その記事を『文藝春秋』に載せてもらったとのこと。そんな経緯を囁かれると、タイトルも含めて読んでみたくなるのが人情だ。まんまと騙された。
 まぁ、ご本人が主張するように『世紀のスクープ』なのだろう。あまりのスクープに怖気づいて自主規制してしまう大手新聞社やマスコミは腰抜けなのだろう。ご本人が否定しているように、大手マスコミの抱える問題を暴露しているわけでも、己の自慢だけでもないのでしょう。はい、はい、御説ご尤もでございます。

 日本人は世界で唯一の性善説に依って立つ民族だ。旅行で行っただけでもそうなのに、仕事や留学で暮らしたりなんかしてしまうと、その土地を好きになってしまう。その土地の良いところばかりを見てしまう。東郷和彦のような外交官はその典型だ。
 しかし、外交官もジャーナリストも、日本人なら日本の国益にかなう仕事をしてほしい。しかし、『国益』などという言葉を口にすると、すぐに「戦争をする気か!」と頭に血を上らせる左巻きな御仁が矢鱈めったら多いから始末に負えない。国益を追求したぶつかり合いの果てに戦争があるという論理らしいが、しかし、どこの国の外交官も特派員も、自分の国のため、母国の家族や同胞のために仕事をしているのである。どうして日本人だけが、それをやると戦争になるのか?
 すべての国の国民が、性善説の日本人のように、平和を愛し公正と信義の信頼を寄せられる国民であれば問題はない。しかし、世界は性悪説で出来ているのである。ギリギリの折衝が必要になる交渉の場は、特に性悪説の独壇場だ。お人好しの日本人は性善説でいるせいで、支那や朝鮮からさんざ煮え湯を飲まされてきたではないか。
 そんな当然の認識を、大手新聞社に辞表を叩きつけたジャーナリストは見失っている。すっかりパンダ・ハガー(パンダを抱く者=親中派)になっているのだ。確かに、ボクは中国に暮らしたことはない(仕事でトータル1週間くらいいたことはある)。もちろん、中国語なんか喋れない。もっとも「ニーハオ」や「シェイシェイ」さえも、ちょっと地方に行ったら通じないような中国語(標準語)など、使えたところで無駄ではないかとさえ思う今日この頃である。それに、傍目八目という言葉もある。傍から見ているほうが良く分かることもある。
 個人的なことになるが、とある知りあいのお嬢さんが最近婚約したのだけれど、その彼氏というのがどうもパンダ・ハガーのようで心配なのだ。その彼氏も紹介していただいたのだが、その彼は嫉妬する気も起らないほどのイケメンで、背も高く、地方ではあるが某国立大学を主席に近い成績で卒業し、とある総合商社に就職が決まっている。で、在学中に1年間だったか2年間だったか上海に留学していて、何語か分からないが中国語が堪能らしい。だから、就職したらおそらく上海支社に行くことになりそうだと言うのだ! 上海と言えば、昨年の8月に化学大爆発があった、あの天津に近い。そもそも、上海どころか支那という国そのものが、ヘタをすれば年内にも内乱が起こるんじゃないかと、(希望的)予測をしているボクとしては、そんな所に新婚の彼女を送り出したくないのである。しかも、しかも、輪をかけてボクを不安にさせるのは、パンダ・ハガー彼氏の支那認識が歪きわまりないのだ! 思わず我が耳を疑ってしまったのだが、その彼氏曰く、
「中国は世界一貧富の格差がない国です」
 なのだそうである!
 経済音痴のボクには、ジニ係数がどうのと難しい理論や理屈は語れないが、そんなボクでも知っている。共産党一党独裁の共産主義国家の支那ほど貧富の格差が激しい国はない!
 彼こそは、ボクが目の当たりにしたリアル・パンダ・ハガーであった。彼女の結婚を祝福してあげたいという思いは強いのに、心配で心配で心配で仕方がないのである。

 本書を全部読み切る気力はない。ざっと目を通した感じでは、パンダ・ハガーに過ぎない自称支那通ジャーナリストによる支那擁護論のように思えてならない。著者・加藤氏の言葉の端々に、「集金兵」失礼、習近平へのリスペクトを感じてしまうのである。読んでいて、何とも薄気味の悪い違和感がある。確かに、この著者が支那に向かった10年前と今とでは、日本の対支那感情が激変しているのだから、浦島太郎としては元に戻りたいと思う気持ちも分からないではないのだが……。

 ついでになってしまって申し訳ないが、もう一冊、最近途中読みで止めてしまった本がある。遠藤誉氏の『毛沢東 日本軍と共謀した男』である。
 遠藤女史は、1941年の中国生まれ。国共内戦を経験して53年に帰国したとのこと。毛沢東の生い立ちから読み解き、毛が犯した数々の悪行を紹介しているのだが……、遠藤女史がその知識を得たのは、蒋介石のお陰というのが結論なのである。片一方の大嘘吐きのお陰でもう片方の大嘘には気付いたが、そもそもの大嘘吐きの大嘘には気付いていないのである。もう、ほとほとナンマイダなのである。

ブログ開設の所信表明

 1976年に作られた『ベンジー』という映画がある。野良犬のベンジーが活躍する他愛もない子ども向けのファミリー映画だが、ボクが映画ファンになりたての頃に観た作品であり、ボクが映画ファンになったきっかけの一本でもあり、いつまでも子どもの心を失わないボクにとっては、今もお気に入りの1本である。
 このベンジー、野良犬だから飼い主はいないが、いつも餌をくれる町の常連さんたちがいる。ポップコーンをくれるお巡りさんや、カフェの店先で居眠りしている爺さんなどだ。ベンジーは毎朝これらの人々を巡回していくのだが、野良犬だから、それぞれから勝手な名前で呼ばれている。「ブッチ」だったり、「サム」だったりといった具合だ。「ベンジー」と呼んでいるのは、最初に立ち寄るチャップマン家だけだ。でも、ベンジーは野良犬なんだから、それが当たり前なのである。
 ロードショーから数年後、この作品がテレビの洋画番組で放送された。当然吹き替えだ。ホームビデオなどなかった時代のことである。映画館で胸躍らせた『ベンジー』がまた観られるとあって、ボクは楽しみにこの放送を観た。そして、愕然とした。野良犬のベンジーを、爺さんも、お巡りさんも、おばさんも、町中の皆がみんな「ベンジー」と呼ぶのだ。
 子ども向けの映画だから子どもにも分かり易く……という配慮だったのだろうか?
 いやいや、ちょっと待ってくれ。アメリカ人の子どももこの映画を観ているのだ。子どもだからって理解できないはずはない。それとも、まさか、日本人はアメリカ人よりもバカなのか?
 今のぼくならこの問いに答えることが出来る。
 答えは、イエス。
 日本人はアメリカ人よりもバカだ。少なくとも映画に関しては。しかも、著しく劣る。

 斜陽と言われて久しい日本の映画産業(産業とは呼べない規模ではあるが)。シネコンの影響もあってか、最近の日本の映画人口は下げ止まっているようだが、これはアベノミクスの恩恵が我々一般庶民にまでトリクルダウン(滴が落ちてくること)してきていないからだ。要は映画館が『安近短』の暇つぶしの場になっているだけのことである。だから、民放各局ヒモ付きの2時間ドラマの延長のような作品ばかりが配給されるのである。各局は放送外収入を得んがため、バラエティ番組や時には報道番組まで使ってジャカジャカ宣伝しまくるのである。かくして、ハーメルンの笛に誘われるネズミよろしく、映画館におびき寄せられた視聴者たちは溺れ死んでいくのである。比喩ではない。視聴者の多くは脳死しているとしか考えられない。なぜなら、視聴者はテレビで宣伝されるクソばかりを有り難そうに押し戴き、本当の名作や力作には見向きもしないのである。邦画ばかりがヒットして洋画がヒットしないと言う現状を『邦高洋低』というが、まさしくここに原因がある。
 日本の映画業界が斜陽なのは、映画の需要者たる映画観客のレベルの低下にも大きな一因がある。映画観客の大半は、糞も味噌も見分けのつかない糞テレビ視聴者になってしまっている。
 こんな現状を少しでも正したい。そんな思いから、このブログを立ち上げました。敢えて上から目線で言わせてもらいますが──、
 当道場から破門されないよう、しっかりついてきて欲しい!
プロフィール

辰之介

Author:辰之介
映画ファン歴40年。
映画やドラマを観る日本人の審美眼を真剣に憂える。

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