オバマ大統領の広島訪問

 アメリカの大統領バラク・オバマ氏が明日(5月27日)、広島を訪問する。レームダックとは言え、アメリカの現職大統領が広島を訪問するのは初めてだし、意味がある。日本人はオバマ大統領に謝罪は求めたりなどしない。それは勿論、謝罪があれば御の字だが、アメリカはまだ謝罪をするほど成熟していないし、日本も謝罪を受け入れられるほどには成熟していない。だからこそ、訪問してくれるだけで十分に深い意味が生まれるのだ。
 もちろん、オバマ大統領が広島を訪問したところで核兵器がこの世からなくなるわけではない。だが、広島に原爆を落としたおかげで、戦争の終結が早まり100万人からの命が救われたとかいう戯言や誤解が解かれるきっかけにはなる。ひいては、原爆投下が単なる『虐殺』でしかなく、白人による黄色いサルをモルモットにした実験であったことを認知してもらうことにもつながるはずだ。この認識が広まることで、もしかしたらいつの日か、原爆がこの世からなくなる……、まではいかなくても軍縮につながる日が来るかもしれない。少なくとも、太平洋戦争(正しくは大東亜戦争)は日本が一方的且つ全面的に悪かったなどという自虐的な史観が変わっていく一助にはなってくれるんじゃないかなと思う。そうなることを期待する。

 ともかく、終戦から70年以上もの時が経ってしまったとは言え、オバマ大統領のおかげで、ようやくこんな当たり前のことを世界の人々にも知ってもらえる機会を得たことは本当に素晴らしい。
「原爆投下は単なる虐殺だった」
 という認識。実は、日本の敗戦直後、これを言葉にして声に出した人がいる。後に総理大臣となる鳩山一郎氏だ。(孫も総理大臣になるのだが、それはここでは無視して)その鳩山氏の発言は昭和20年9月15日と17日の新聞に載った。しかし、当時はGHQがプレスコードを布き報道統制を行っていた。史実を訴えたり、戦勝国やGHQへの批判になるような発言や報道、出版を徹底的に取り締まり弾圧した。だから、鳩山氏の発言を載せた新聞社は2日間の業務停止を命じられた。以来、その新聞社はGHQのプレスコードをしっかりと遵守している。サンフランシスコで平和条約が結ばれ、日本が主権を取り戻して以降も、今に至るまで頑なに守り通している。どころか、GHQが泣いて喜ぶような作り話を新聞に載せ、未だにゴマすり作業を続けている。あ、そうそう。もちろん、朝日新聞のことである。
 あの朝日新聞も、今回のオバマ大統領の広島訪問で、昭和20年に載せた自社の記事を、その時の思いを、思い出してくれることを期待する。ま、核廃絶よりも難しいことだとは思うが。
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『韓国は裏切る』(室谷克実)

 タイトルからして既に分かりきった結論のようだし、もうこの手の本は食傷気味だったのだが、室谷克実氏の新書だったのでつい手に取ってしまった。
 それにしても驚くべきは、未だに発見があること。
 事実は小説よりも奇なりというか、およそボクなどの想像が及ぶ範囲を遥かに下に超えてお粗末な国である。
 その中でもいちばんの発見は最終章の『好韓/嫌韓 660ヶ月分の世論調査』だ。室谷氏の古巣時事通信社が、1960年6月から毎月同じ質問で繰り返して行っている世論調査結果の分析である。
 ボクが読み取った結論をざっくり言わせてもらうと、
『日本人は昔から南朝鮮(韓国)に関心がなかった』
 ということである。
 南朝鮮の初代大統領李承晩が、日本海の地図に勝手に線を引き、アメリカに亡命し、南朝鮮に軍事クーデターが起こった1961年に、嫌韓派が41.2%と初期のピークを見せる。この嫌韓派は日韓基本条約が締結された1965年でも25%もあり、多少のでこぼこはあるにしても20%台後半を維持する。対する好韓派は、5%以下をがっつりとキープする。つまり、南朝鮮が世上を賑わすことがあると、それはたいがいがマイナス・イメージな出来事で、印象を悪くして嫌韓派を押し上げるという流れだ。ただ、この頃の嫌韓派は長続きしない。そもそも、南朝鮮という国に関心がないのだから、話題が古くなると忘れてしまうのだ。だからこそ、金大中事件もライダイハン問題も、日本人には長い間忘れていた。驚いてしまうのは、1988年のソウル・オリンピックを経てすら好韓派は増えもせず、嫌韓派は20%台を維持するのだ。
 ようやっと変化が現れるのは、2002年の日韓共催によるW杯である。この年の6月に、統計を開始してから初めて、好韓派(12.0)が嫌韓派(11.1)を上回る。ただ、南朝鮮のラフプレーや疑惑の審判が無関心層の中から嫌韓派を掘り起こし、翌月にはまた好嫌が入れ替わる。それでも、南朝鮮の国営放送NHKが2003年4月から『冬のソナタ』を日本で放送し始めたことで、いわゆる『韓流』ブームが起きる。
 これで好韓派と嫌韓派が拮抗してきて、やや好韓派が優勢を取り始めるのだが、2005年4月の調査で決定的な亀裂が現れる。統計の前月3月16日に島根県議会が『竹島の日』条例を可決し、南朝鮮が過剰に反応したのだ。これが日本人に、「南朝鮮人ってなんか変だぞ」という違和感を植え付けた結果になる。
 それでも、ご陽気にK-POPを受け入れる忘れっぽさが日本人の良いところでもあり悪いところで、2009年の秋頃から再び好韓派が攻勢を取り戻し、東日本大震災後の2011年4月から7月までの3ヶ月間、なんと好韓派が嫌韓派を上回る。
 とは言え、同年2011年8月に、竹島問題調査のために鬱陵島に行こうとした自民党議員が入国を拒否されたのをきっかけに、韓流ドラマやK-POPばかりを垂れ流すテレビ局への抗議デモ(当時は視聴率1位で目立ったフジテレビに抗議が集中)などに結びつき、2012年8月を迎えるに至る。李明博大統領の竹島上陸である。ロンドンで開催中だったオリンピック・サッカーで南朝鮮の選手が「ドクトはわが領土」なるプラカードを掲げたりもした。その後の、李明博大統領による天皇侮蔑発言は言い添えるまでもあるまい。好韓派は5%台に落ち、嫌韓派は一気に43%を超えた。朴槿恵大統領に代わって以降の、その後の執拗な反日活動は割愛するが、セウォル号事件やナッツリターンなどのトホホな内情暴露が相乗効果を生み、嫌韓派の50%超えを記録するなど、今に至る嫌韓派の高値定着に貢献しているのである。

 間もなく梅雨になり、梅雨が過ぎると夏になる。今年も猛暑になるのだろうか。天気予報は毎日のように『観測史上初の』とか『記録的ナントカ』とかを連発するようになる。そして、降水確率に合わせて『不快指数』が報じられるようになる。
 不快指数?
 ここでは用語の意味を調べないが、例えば『不快指数90%』と言うと、
「10人中9人が不快なのに、一人だけ快適と思っている奴がいるのか? だったら俺がその一人を殺して100%にしてやる!」
 というようなジョークに使われる。
 好韓派とか嫌韓派とか言うが、韓国(南朝鮮のこと)を好きなヤツが本当に5%もいるのだろうか? 好韓派って、朝日新聞をとっている連中のことなの?

『韓民族こそ歴史の加害者である』(石平)

 自立できない事大の国、朝鮮。朝鮮という国名は支那から下賜されたもので、『朝(貢ぎもの)』が『鮮(少ない)』という意味。
 彼らはそれで良かったのかもしれないが、「それでは支那(当時は清)の脅威が我が国に及ぶ」と気が気でなかったのが、日本。
 それで日清戦争が起こった。
 その戦争に日本が勝ったので今度は日本の脛をかじることにした。ところが、その後の三国干渉でロシアの強さを目の当たりにすると、あっさりロシアに鞍替え。国王がロシア公使館に逃げ込み(『露館播遷(ろかんはせん)』)、ここで自国の改革派を弾圧。ロシアの属国になることで、『大韓帝国』を建国した。支那の属国時代は、宗主国と同格になる『帝国』という呼び名をつけられなかった朝鮮民族は、ついに『帝国』と呼称できるようになった嬉しさから、『マンセー(万歳)』と叫んで喜んだ。実は支那の属国だった時代には、これも宗主国に憚って『千歳』としか歓声をあげられなかったのだ。
 支那からロシアに宗主国を鞍替えし、彼らはそれで良かったのかもしれないが、「それではロシアの脅威が我が国に及ぶ」と気が気でなかったのが、日本。
 それで日露戦争が起こった。
 その戦争にも日本が勝ったので今度こそ日本の脛を放すまいと、日本に併合してくださいと頼みこんだ。ところが、福沢諭吉や伊藤博文らが反対する。窮地に陥った大韓帝国だが、意地でも自立をするつもりがない彼らの前に英雄が現れる。安重根だ。併合を邪魔だてする伊藤博文をテロで殺してくれたのだ。こうして無事、日韓併合を勝ち取った安重根は、今も南朝鮮の民族的英雄として祭り上げられている。
 ところが、そこまで頼みとした日本だったにもかかわらず、こともあろうに大東亜戦争でアメリカなんぞに負けやがった。たかが原爆の2発程度を落とされたくらいで、あっさりと音を上げやがった。そりゃあ、次はアメリカ様に鞍替えするってぇのが人の情ってもんでしょう……。

 以上、簡単だが朝鮮半島の近現代史だ。ボクも最近の勉強のおかげで、このへんの流れは掴んでいる。
 しかし、朝鮮は勉強を重ねても深みのない国なので、朝鮮に特化した本はあまり読まなくなっていたのだが、(高句麗、新羅、百済の三国時代と)白村江の戦いや、元寇(朝貢国の高麗が宗主国元のお先棒を担いで日本に攻め込んできたことくらいは知っていたが)、そして朝鮮戦争のことは、まだまだ不勉強なので、久しぶりにこの本を手に取った。
 が、それにしても、知れば知るほど深みのない薄っぺらな国だということを再確認した。

 自称、世界一優秀なDNAを持つ朝鮮民族は、有史以来、ただの一度も自国の問題を自国で解決したことがない。いつも他国に頼りきり。自国の内乱や内戦に他国の軍隊を招き入れ、代わりに戦ってもらうのだ。

◯まず、三国時代と白村江の戦い
 三国時代の新羅は支那(当時は唐)に頼って百済を滅ぼし、ついで高句麗を滅ぼしてもらい、唐の朝貢国として朝鮮半島を統一した。
 統一がなる前に、百済の断末魔のような小競り合いがあった。滅ぼされたかに見えた百済の残党が日本に支援を求め、それに応えて日本が海外派兵を行った。ところが、日本軍が朝鮮に到着すると百済が内部分裂を起こし、王様が日本軍を見捨てて高句麗に逃げ込んでしまう。地の利も協力もない日本は大敗を喫してしまった……というのが、白村江の戦いの顛末。

◯つづいて、元寇
 その後、支那の支配者は、唐やら宗やら遼やら金やらモンゴルにくるくると代わる。モンゴルはやがて元と呼称を変える。朝鮮半島でも新羅が高麗に代わったりするのだが、いつの時代も変わることなく支那の支配者には朝貢をつづけていた。が、そんな誠意も、ふとしたミスから元(その時はまだモンゴル)の怒りを買い、攻め滅ぼされそうになる。高麗の国王は全面降伏を申し出て、高麗の独立を主張する反対勢力を元に滅ぼしてもらう。若干はしょったが、まぁ、だいたいそんな感じの顛末。元への忠誠を誓う高麗は、忠誠の証しに日本遠征のお先棒を担いだと言うわけ。

◯そして、朝鮮戦争
 ソ連と支那(今の中華人民共和国になったばかり)を恃み、援軍ありきで先に38度線を越えたのが金日成の北朝鮮。3日でソウルから追い出された南朝鮮の李承晩は、アメリカ様と国連軍を恃んで3か月かけて38度線の北に追い返してもらう。そこで止める約束だったのに、李承晩は国連軍を煽って38度線を北進。支那とソ連を巻き込んで泥沼の朝鮮戦争に陥った。んでもって今に至る、というわけ。

 ホント、かの国は、宗主国の支那と同じで同じことばかり繰り返す。改めて勉強になりました。

正しい言葉の意味

 昔、ボクがまだ若かった頃、会社の上司がよく『古い革袋に新しい酒』という諺を引用して自分の意見をごり押ししてきた。
「新しい世代(ボクのような後輩)が思いついたアイデアも、大先輩である俺(上司)の意見を取り入れて見直した方がより良い結果になる」
 という意味に使っていた。後日、辞書でこの諺を調べたら、
「せっかくの新しい酒も古い革袋に入れたら台無しになる」
 という意味だった。辞書のそのページをコピーして、その上司のデスクにそっと置いておいた。他にも大勢いる部下の手前、恥をかかせないための配慮だ。だが、その上司は真っ赤になって大声で、
「若い奴らに辞書を引く習慣を身につけさせてやりたかったんだ」
 云々……。
 腹の立つこともある上司だったが、人間的にはサイテーの先輩だったが、教わるところも多かった。懐かしく思い出すことこそあれ、今はあの人に対する恨みはない。
 まぁ、そんな自分の経験も踏まえ、暇があったら辞書は引いたほうが良い。ボクのスマホには、『大辞林』と『ジーニアス英和・和英辞典』と『旺文社の漢字典』の3つが入れてある。
「朝日新聞は日本のクオリティーペーパーだ」
 と言われているので、『クオリティーペーパー』を調べてみた。
「政治・経済・国際問題などの記事が多い、質の高い新聞。発行部数は比較的少数。娯楽記事の多い大衆紙に対していう」
 と書いてあった。どうも、皆さん、言葉の意味を調べていないようだ。
 南朝鮮が自分の国のことを、
「アジアのバランサー」
 と言っているのを聞いたことがある。支那と日本の摩擦を、間に入ってバランスよく調整しているという意味で使っているようだった。『風見鶏』とか『節操なし』という言葉も言いようだなぁと思っていた。で、『バランサー(balancer)』も調べてみた。
「平衡器、軽業師」
 とあった。なるほど。
「どちら側に付くと得か損かを秤にかけ、得すると思った方へ軽業師のようにヒョイッと乗り換える」
 おそらく南朝鮮人が使っている意図とは違うのだろうが、意味は合っている。

オバマ大統領の広島訪問に対する南朝鮮の反応

 またしてもと言うよりも、やっぱりなというのが感想。オバマ大統領の広島訪問(3日後の27日)について南朝鮮が騒いでいるようだ。
「原爆を落とされたぐらいで被害者面をするな。戦犯国は日本だ。それ以上の悪いことをお前らはしたんだ。当然の報いだ。自業自得だ」
 というのはボクにも予測できたいつもの言い草だが、
「安倍はオバマの広島訪問を政治的業績にするつもりだ」とか
「オバマは日本より先に韓国人の原爆被害者に謝れ!」
 という論調もあるらしい。凡人のボクなどには思いもつかない論理だ。流石、朝鮮人は頭がお宜しくていらっしゃる。彼らの頭の良さはこの程度には収まらず、他にも、
「オバマ大統領は広島で日本の戦争責任を指摘し、悲劇の原因を作った加害者と、真の被害者(韓国や中国)を明らかにすべきだ」とか、
「日本から被害を受けた国(韓国など)が納得できる内容にしてこそ、広島訪問の成果が現れる」
 など、ボクなどには何度繰り返し読んでも理解できない論調もある。
 これらの騒ぎはメディアを中心に起こっているらしい。そもそも朴槿恵大統領は南米を歴訪中という。先進国首脳会議に呼ばれない南朝鮮の大統領としては、その舞台となる日本の近くにはいたくないというのが偽らざる心境だろう。それに、アメリカ様の言いつけで、去年末にはいわゆる従軍慰安婦問題の解決について不可逆的な日韓合意をしたばかりだ。いくらなんでも半年も経たないうちに忘れましたとは、世界一賢い優等民族を自称する朝鮮民族としての誇りが許さない。本音のところはともかくとして、まさか政府が旗を振ってアメリカ様のやることに難癖をつけるわけにはいかない。『その場にいない』とは、また上手く立ち回ったものだ。
 まぁ、そんなことはともかく、この情報、どこで手に入れたかというと『産経新聞』だ。
 隅々までチェックしたわけではないが、朝日新聞には載っていない。もちろん、毎日新聞や東京新聞にも載っていない。テレビなんぞは尚更だ。
 南京大虐殺や従軍慰安婦など、反日に資することなら何にでも同調する売国奴連中も、さすがに広島長崎の原爆投下を正当化する論調には乗っかれないみたいだ。そこで『報道の自由』という錦の御旗の下、自分たちには都合の悪いことは『報道しない』ことにしているのだ。
 そういえば、支那の反応は産経新聞にも載っていなかった。
 オバマ大統領の広島訪問の前には、そもそもの来日の目的、サミット会議がある。そこで話し合われるのは、「支那の景気減退に端を発する世界経済への影響とその対応策」だ。「景気の減退」を認めない支那としては、『パナマ文書』同様に情報統制しているのかもしれない。つまり、サミット会議そのものを一切『報道しない』ことで、国民に知らせていないのだ。だから、共産党政府も知らん顔を決め込んでいるし、メディアによる批判もないし、共産党政府に指導された官制の暴動も起きていないのではなかろうか。

テラフォーマーズ

 来年(2017)はウィリアム・ワイラー版『ベン・ハー(1959)』のリメイク作品が公開される。予告編を見る限り、監督や脚本や俳優はともかく、少なくとも撮影技術は格段に進化している。異論や拒絶感もあろうが、58年に及ぶ映画アカデミーの進化を見届けたいと思う。
 日本映画の『テラフォーマーズ』は、約20年前にハリウッドで作られたポール・バーホーベン監督の『スターシップ・トゥルーパーズ(1997)』のリメイクだ。なんと劣化の激しいこと! 日本に絶望したい人は必見。ボクは勘弁。

学歴とは?

 実るほど頭を垂れる稲穂かな。
 日本人の美意識を写す故事成句だが、なかなかこれが実践できない。むしろ真逆に振れる集団がある。日本の最高学府、東京大学だ。東京都のトップリーダー桝添要一と世界5周に行ってQの山尾志桜里議員(民進党初代政調会長)の二人は、その東京大学の出身である。
 東大出身者には自分以外の人はすべてバカにしか見えないのだろう。選ばれし人間という選民思想がそうさせているとしか思えないのだが、二人とも人を小馬鹿にしたような金の使い方をして、二人とも人を小馬鹿にしたような釈明会見しかしていない。頭脳明晰で優秀な人材が集まっているのが『東大』だとは思うのだが、どうやら卒業するまでに『尊大』に作り替えられるようだ。
 つくづく、稲穂は頭を垂れなければならないと思う。
 かく言う自分も反省すべきことがある。
 東大に入れるほど頭が良くなかったボクは中央大学出身だ。近く都心に回帰するとの話を聞いたが、ボクが通った学び舎は東京の果て八王子にあった。法学部だった。
 中央大学には『左折の法則』と呼ばれるものがあった。大学の北門(最寄り駅から近い入り口)をくぐって右側に法学部棟、左側に文学部棟があり、たいがいの可愛い女子は左に曲がってしまうという法則だ。(※注:法律関係の女史をディスっているわけではありません。)
 ところが、実はもうひとつ左折ポイントがあった。最寄り駅『多摩動物公園駅(残念ながら中央大学前駅ではない)』である。中央大学は駅を出て右に行く。多くの可愛い女の子はここでも左折する。左折した先には明星大学があった。「めいせい」と読むのだが、口の悪い先輩は『ラーメン大学』と呼んでいた。『明星』を「みょうじょう」と嘘読みしたのだ。偏差値で中央大学が明星大学に勝っていたことからくる非常に低レベルな選民思想だ。
 先輩の発言とはいえ、恥ずかしい限りである。ボクも笑ってしまったし。特に最近は、このことを恥じている。何故なら、教授の質は中央大学よりも明星大学の方が優れていることを知ってしまったからだ。
 いわゆる従軍慰安婦問題に関して、日本軍の関与を示す資料を発掘したとかの捏造で朝日新聞に持ち上げられた御用学者・吉見義明は中央大学の教授だ。明星大学には、南京事件の捏造と戦う高橋史朗教授がいる。
 それにしても、左折する方が正しい(Left is Right)というのも皮肉な結果ではある。

バルス祭り

 ベーブ・ルースの逸話だったか。手術が怖いと言う少年を勇気づけようと、サプライズで病院を訪れ、約束のホームランをかっ飛ばす。もしかしたら王貞治だったかもしれない。いずれにせよ、ボクも頑張るから君も頑張れと言うこの美談は、誰もが知るエピソードであり、パロディーやコントを作る際の鉄板のテンプレートとなった。
 今日(5月13日)の14時から始まった舛添要一東京都知事の釈明会見を見ていて、『ごっつええ感じ』でやっていたダウンタウンのコントを思い出した。病気の少年ハマダくんを『世界一さん』のマツモトが見舞うというコントだ。ハマダくん憧れの『世界一さん』は、いかにして世界一をキープしているか、その苦労話みたいなことを延々と語って聞かせてくれるのだが、この世界一さんはいったい何の世界一なのかは全く説明されない。それでいて、その世界一の価値観が共有されていると言う不条理さというかナンセンスが出色だった。
 で、舛添だ。
 会見の中でやたらと「東京を世界一の都市にするために」とか言っている。
 何が世界一だ? 何の世界一だ?
 東京大学を首席で卒業した東京都知事の舛添要一は、特権意識と選民意識のカタマリなんだろう。彼の中には、「世界一の都市東京」なんだから、そのトップリーダーであるワタクシ舛添には、ファーストクラスに乗る権利があるし、ホテルだって当然スイートルームに泊まるべきだという意識があるのだろう。その世界一の都市東京を更に世界一にするために俺は頑張ったんだから、その業績と比較すれば、ファーストクラスやスイートルームなんざぁ安いもんじゃないかという意識もある。
 しかも、あの特権意識と選民意識のカタマリは、クレヨンしんちゃんのマンガ本にも領収書を取るほどの始末屋ときている。(始末屋とは、良く言えば倹約家という意味だが、関西弁だと吝嗇家になる。ハッキリ言えばケチ。)『センテンス・スプリング』だったか『ニュー・タイド』だったかの週刊誌で報じられている通り、はっきり言って家族との旅行や食事の代金を政治資金で賄っていたのだろう。素直に謝ればいいものを、「腐っても東大出」のプライドが許さないのか、我々凡人には思いもつかない言い逃れを考えようと時間稼ぎをしている。昨日くらいからやたらと『精査』という言葉を連発し、お金の使途を説明するつもりでいるらしい。もっとも、凡人であるこちらには、彼の言っている説明が全く理解できない。理解できることと言ったら、『精査』が今年の流行語になるんだろうなと言うことくらいだ。
 宮崎アニメ『天空の城ラピュタ』のワン・シーンも思い出した。悪役のムスカが飛行船から落ちていく兵隊たちを見て「人がゴミのようだ」と笑っていたあのシーンだ。ムスカが舛添とダブる。舛添にも東京都民がゴミのように見えていたことだろう。舛添にあの言葉を聞かせてやりたい。ムスカ退治に使われる、あの有名な「滅びの呪文」を。

オバマ大統領の広島訪問

 昨日(5月10日)、オバマ大統領の広島訪問が正式に決まったと発表があった。
 今朝の新聞各紙は一斉に一面に取り上げた。しかも、各紙一様にこの訪問を歓迎する論調だ。もちろん、ボクも大歓迎である。あの朝鮮日日新聞日本支社(朝日新聞)ですら、自民党安倍政権の追い風になり夏の参院選に利用されるだろうと腐す程度で、歓迎口調をベースとした記事になっている。少なくとも今のところは。
 そう。今のところはである。
 アメリカの世論は今もなお原爆投下は正しかったとする肯定派が主流だ。20代、30代の若い世代では正しくなかったと考える否定派も目立ってきたと言うが、トータルすると彼らはまだまだ少数派だ。
 主流の肯定派曰く、原爆のおかげで日本が降伏し、そのおかげで1000万人の戦死者を出さずに済んだと言う。その方便の出鱈目さをここでは論じないが、子どもの頃からそんな論理を教育されてきた人たちが、そう信じてしまうのは致し方のないことだ。三つ子の魂は百まで受け継がれるのである。
 そんな肯定派は、更に原爆の正当性を強調するため、ありもしない日本軍の非道を創作した。バターン死の行軍だとか、東ティモールの虐殺だ。
 これに便乗する奴らがいる。支那と朝鮮だ。南京大虐殺と従軍慰安婦が、その双璧だ。白髪三千丈のお国柄(と、そのお国柄を至上と仰ぐ劣化コピーのお国柄)とあって、彼らが創作する被害者数は得てして現実離れした数字に誇張される。広島と長崎で一瞬にして20万人が殺された原爆の非人道性を相殺化させるため、アメリカ様も無批判且つ手放しでこれにお墨付きを与える。
 曰く、日本軍は南京で2週間に30万人とか40万人の市民を虐殺したのだそうだ。人口20万人の都市で、どうやったら30万人も殺せるのか。曰く、日本軍は20万人とか30万人の女性を性奴隷にしたとか言う。しかも、彼女らを毎日20回も30回も犯したのだとか。日本軍の兵士は戦場で戦うよりも慰安所に通うのに忙しかったことになる。そりゃあ日本は戦争に負けるはずだ。
 バカの程度があまりにも稀有壮大で、まともに取り合う気も起らないのだが、実はボクはこのバカたちのことを少なからず心配している。
 と言うのも、オバマ大統領の広島訪問は、必ずや支那と朝鮮を刺激するからだ。
 奴らは、日本も戦争の被害を受けたことを否定する。
 特に原爆には敏感だ。
「原爆を落とされたくらいで被害者面をするな。お前らはもっとひどいことをしたじゃないか。そのことを忘れるな」
 と言う。本当だ。ボクはこの耳で聞いた。もちろん通訳を介してではあるが、奴らは確かにそう言っていた。非常に気分が悪くなる。オバマ大統領の広島訪問で、またぞろ奴らがそんなふうに言いだすのは目に見えている。多くの日本人が不快な思いをさせられることだろう。
 そして、ボクの心配はこの先にある。支那と朝鮮に同調して喜ぶ日本国内の反日勢力(売日勢力)の存在だ。朝日新聞やTBSのことである。NHKや共同通信のことである。毎日新聞や東京新聞も忘れてはいけない。というか、大手マスコミのほとんどがそうだ。あぁ、うんざりだ。

『グランド・フィナーレ』

(☆ 過度な期待は排し、無心で見るべし。ネタバレあり)

 フェリーニの再来みたいな宣伝文句に誘われてしまった。予告編も温泉の描写などに『81/2』を彷彿とさせるものがあった。実際に本編を観て、改めて思ったのは、やはりフェリーニは偉大にして唯一無二の存在だったんだなぁということ。ニーノ・ロータの音楽も、フェリーニからは切っても切れない存在だということ。
 まず、ストーリーというか設定が何となく『81/2』的だ。『81/2』はフェリーニ自身を投影した映画監督グイドが、新作を作るプレッシャーで底なしのスランプに陥っていくという話しだ。そんな中で温泉地に行くシーンがあったが、そのシーンを拡大して、舞台をそこに限定したのが本作といった印象だ。スランプの映画監督がリタイアを決めた老音楽家(マイケル・ケイン)に変わっているが、音楽家の友人に映画監督(ハーヴェイ・カイテル)がいるし、その映画監督は資金繰りなどでスランプ中なんて設定だから、むしろ『81/2』に寄せている感すらある。それに、温泉地ということもあってミスユニバースのグラマラスなヌードもあったりして、ちょっとエロいエッセンスもフェリーニ的だ。

 さて、ここからはガッツリとネタバレ。
 音楽家のフレッド・バリンジャーはリタイアしてアルプスの高級ホテルで湯治していたが、そこにイギリス王室から女王様のためにコンサートを開いてほしいとの依頼が来る。バリンジャーはこれを固辞しつづけるのだが、映画のラストでその理由がきっちりと語られる。彼は愛する妻が痴ほう症になって歌えなくなったのを機にリタイアを決めたのだ。ところが、友人の映画監督ミックが、長年のコンビを組んできた女優(ジェーン・フォンダ)から決別を言い渡され、映画製作がとん挫したショックで自殺してしまい、それがきっかけで女王様のコンサートを指揮することになる。これが『グランド・フィナーレ』というわけ。

 イタリアの名匠と言えば、フェリーニとビスコンティが双璧と言って差し支えないと思うが、二人の違いは何か。ボクは、庶民派と貴族派と考えている。子どもの頃の思い出も、若いころの暮らしも、国は違えど同じ庶民として共感できるものが多い。ところが、ビスコンティは貴族出身なので、そもそもの原体験が違うのか、驚きはあっても共感部分は少ない。もちろん、『山猫』などの好きな作品もあるとはいえ、ボクはおそらく死ぬまで『ベニスに死す』は理解できないだろうと思う。貴族のおっさんが若い男に恋をし、歳をとって容色の衰えた己の姿に絶望し、悶え苦しんで死んでいく物語……とボクは理解しているが、見終わった時の感想は「勝手に死んでろ」だった。共感する部分はゼロだった。
 振り返って本作である。どちらかと言うと、いやはっきり言って貴族寄りなのである。そもそもの舞台となるホテルがめっちゃ高級なのだ。ホテルでは毎晩何かしらのショーが行われていて、これが予告編で見るとサーカスやピエロ(フェリーニはクラウンと呼ぶ)をモチーフに使ったフェリーニを彷彿とさせながら、本編で観ると単なる貴族的な贅沢なのだ。ひとことで言えば、この映画はビスコンティが撮った『81/2』だ。
 そもそも原題に答えが隠されていた。原題は『Youth』という。『young』の名詞形で、つまり『若さ・青春』だ。生まれてから死ぬまで欠けたるものもない贅沢な暮らしを約束された金持ちの貴族にとって、唯一一般庶民と共有しなければならないのは時間の流れ、すなわち年を取ることである。彼らが最も忌み嫌うのは年を取ることで、財産の全てをはたいてでも手に入れたいと願うのが『若さ』なのだろう。だからこそ『ベニスに死す』みたいな物語が作られる。あの映画の怨念すら感じる若さへの妄執は、生まれながらの金持ちや貴族特有のものなのかもしれない。本編に登場するヌードもミスユニバースの若くてピッツンパッツンのナイス・バディだったが、フェリーニが描く女性のヌードは、巨大すぎる胸であったりお尻であった。セックスの対象と言うよりも、むしろ化け物見たさの恐怖の対象であった。彼の奥さんジェルソミーナことジュリエッタ・マシーナは小柄な人だったことが彼の本質的な趣味を証明していると思う。ダイナマイト・ボディのアニタ・エクバーグと浮気したこともあったかに聞くが、『魂のジュリエッタ』で妻の元に帰ってきている。
 監督のパオロ・ソレンティーノは、間違いなくフェリーニの影響を受けていると思う。いや、映画監督で、しかもイタリア人で、フェリーニの影響下にない人は、まぁあるまい。そして、それは別にそれは悪いことではない。宣伝が悪い。宣伝があまりにもフェリーニ色を前面に出している。

 主演のマイケル・ケインは素晴らしかった。ハーヴェイ・カイテルも良かった。

『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』

(☆☆☆  少なくとも、マーベル・ファンは必見)
 アメリカでシビル・ウォーと言えば南北戦争のことを指す。「War(戦争)」と呼んでいるが、要はアメリカを二分した内乱である。内乱はただ単純にその国の国力を落とす。帝国主義でヨーロッパに遅れをとったアメリカは、未だ覇権の定まらないアジアの利権を求め、1853年に日本にたどり着いた。ペリー来航である。ところが、1861年(~65年)に南北戦争が起こったせいでアジアへの影響力を失ってしまう。しかし、日本にとっては幸いだった。もし、アメリカが南北戦争を起こしていなかったら、日本人はインディアンのように虐殺し尽くされていたか、フィリピンのように植民地化されていたか、ハワイのように併合(実質は植民地化)されていた。カメハメハ大王でお馴染みのハワイ王国が、『アロハ・オエ』を作ったリリウオカラニ女王を最後に王国が亡んだように、日本の皇室も滅ぼされていただろう。

 さて、映画の内容について。
 マーベル・コミックのアベンジャーズメンバーそろい踏みで、実質『アベンジャーズ3』とも言うべきスケールと意味合いを持つ作品になっていた。マーベルファンにはたまらない興奮の作品となった。
 アベンジャーズの戦いが都市破壊レベルにまで大きくなり、少なからぬ被害者(被災者と呼ぶべきか)が生じるようになる。各国は協議の上、国連の指揮下にアベンジャーズを置くことで合意。国連が要請したときにのみアベンジャーズは悪と戦うのである。これに合意するか否かでアベンジャーズ内の内乱が起こるのだ。
 実は、『バットマンVSスーパーマン』も似たような設定の世界観でストーリーが構築されている。だが、超人のレベルでスーパーマンは桁が飛び越えすぎている。不謹慎を承知で敢えて譬えるが、熊本地震とノアの洪水くらいの差があるのだ。つまり、熊本地震には喩に使うと不謹慎さを感じるほどの実感が伴うが、狂信的なキリスト教徒ではないボクにはノアの大洪水には実感がわかない、ということを言いたい。なので、まじめに補償の話をしようとすると、リアルになるかギャグになってしまうかの違いが生じる。これが『バットマンVSスーパーマン』の敗因だ。
 さて、本編に戻って面白いのは、合意に賛成なのがアイアンマンで、反対なのがキャプテン・アメリカなところ。我侭放題のトニー・スターク(アイアンマン)こそ束縛を嫌がって合意に反対しそうなものだが、彼自身、トラウマを抱えるような戦いに疲れや恐れもあるし、ペッパー・ポッツとの幸せな私生活も取り戻したいという思いもある。対するキャプテン・アメリカは優等生のイメージで愛国心の代名詞のような存在だ。悪法もまた法なりと、国や軍の方針には己を曲げても従いそうな感じだが、こちらが反対をするのである。キャップの中には、男社会に抗ってシールドの創設者の一人となった元恋人ペギー・カーターへの想いもあるし、何より洗脳によって悪に利用され冤罪までなすりつけられた親友バッキーを救いたいという想いがある。
 観ているこちらは、バッキーの冤罪も含めて賛成しているトニーが判断を誤っているのが分かっているし、どうしても反対している劣勢のキャップを応援してしまう。これ以上はネタバレになってしまうので口を閉じるが、エンターテイメントとしても面白いし話も良くできている。
 あ、ちなみに、スタン・リーはフェデックス・ドライバーとしてクレジットもされていた。

 ボクは高校時代からの30年以上のマーベル・ファンだが、数あるキャラクターの中でもキャプテン・アメリカはかなり上位のお気に入りキャラだ。初めて見たときは、そのネーミングと星条旗丸出しのコスチュームに違和感を感じていた。しかし、その違和感も最近では、彼こそがアメリカ人が理想としているキャラクターを体現しているのだなと解釈することで納得できるようになった。
 そもそも、自分が感じていた違和感の元は、キャプテン・アメリカほど日本人的なキャラクターはいないなぁと感じていたことだ。武器と言えばピストルとかの飛び道具でも刃物でもなく、身を守るのが主目的の盾だ。超能力的なスーパー・パワーではなく、肉体を駆使した力で戦う所も良い。だから斬られたり撃たれたりすれば怪我をするし、不要な殺しはしない。自らの身を捨てて仲間を守るし、敵にも慈悲深い。もちろん、朝日新聞は否定するだろうが、あの戦いぶりこそ、支那や太平洋で戦った日本軍の基本姿勢だとボクは思う。本当はアメリカ軍も、キャプテン・アメリカのように日本軍のように戦いたかったんだろうなと思う。残念ながら、朝鮮半島でもベトナムでも中東でも、彼らはその思いを実現していないが……。
プロフィール

辰之介

Author:辰之介
映画ファン歴40年。
映画やドラマを観る日本人の審美眼を真剣に憂える。

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