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有事の円

 EUへの残留か離脱かを決めるイギリスの国民投票が行われた。即日(6月24日)、開票作業が行われたが、当初から予想されていた通り、どちらが勝つか分からない状態で推移。しかし、日本時間のお昼前、離脱派の優勢が見えてくると、いきなり円高が進み1ドル99円台に突入したとのニュース速報が流れた。
 以前は『有事のドル』と言った。戦争のような世界的非常事態が発生すると『信頼のあついドル』が買われたことから、そう言われるようになった。ところが、世界的な経済の混乱が予測される今回の事態を受け、世界はドルではなく円を買ったことになる。さしずめ『有事の円』だ。
 何故、円が買われるのだ?
 GDPが世界2位だと息巻いている支那がそんなに経済成長してるなら、どうして元を買わないのだ?
 そもそも、有事に円が買われることは今に始まったことではない。
 しかし、もし、財務省が言うとおり、日本が借金まみれでギリシャのように財政破たん寸前の状態だというのなら、そんな国の国債を誰が買うと言うのだ? 
 財務省は嘘をついていることの証拠ではないのか。
 財務省の連中は日本経済のことよりも『増税』を自分の手柄にすべく、支那人や朝鮮人みたいに世界に日本の悪口を言い触らし、増税を世界への公約に誘導してきた。しかし、欲の皮の突っ張った投資家や資産家たちは、主義主張や建前よりも『金』だ。金が全てだ。財務省の嘘は嘘として耳を傾けているふりをしながら、聞き流しているのだ。実質的な日本の経済力を見抜いているのだ。だからこそ、今回のような有事に於いて、ドルよりも信頼のおける円を買ったのだ。
 そうじゃないのか?
 そうでなければ、世界的な経済混乱が予測される事態が起きたとたんに円高になる理由を教えてくれ! できれば俺にも理解できるように分かり易く!
 円高に振れるのとは裏腹に、日経平均は1300円近くも下げて今年最低を記録した。これも不思議だ。円高になったと言っては株価が下がり、円安になっては株価が下がる。世界中で日本の投資家だけがバカなんじゃないのか? すっかり財務省に洗脳されているんじゃないのか? 世界的な有事になっても円の信頼は失われないのだ。それだけ世界は日本を信頼しているのだ。もっと自信を持っていいんじゃないのか? もちろん、業態によっては円高の影響をこうむって業績を下げる業界もあるだろう。しかし、日本の経済はおおむね堅調なのだ。萎縮さえしなければ! もっと自分の国に自信を持ってさえいれば!
 財務省が「破綻だ、破綻だ!」と騒いで不安を煽るから、企業も個人も内部留保や貯金に走り市場に金が回らないのだ。景気は『気』だ。財務省が日本の足を引っ張り、日本の景気を悪くしているとしか思えない。
 夕方になって、イギリスではキャメロン首相が辞意を表明した。自分が先頭で旗を振った残留派の責任を取ったのだ。
 日本でも、財務省の役人は全員が辞任するべきだ。官僚の中の官僚とか言って、東大出の頭の良い連中が集まっているはずの財務省だが、結局、学閥に縛られて愚かなことしかしていない。この学閥を清算する意味でも、財務省の役人は一度全員が馘にされるべきだ。

 さて、次なる試練が2週間後にやって来る。
 7月8日、金曜日。
 正直、これは見ものである。
 今年(2016年)、年明け早々に支那の上海市場が暴落し、開始からわずか30分で取引が停止した。株価が7%暴落した時、自動的に取引が停止するという中国独自の新ルール『サーキットブレーカー』が作動したのだ。これにはもちろん誰もが知る伏線があった。ちょうど半年前の去年(2015年)7月8日の株価暴落だ。この時、5%以上の株を持つ大株主と経営陣は半年間の株式売却が禁止された。もちろん、これも支那の独自ルールだ。その半年後が今年の1月7日で、この時も再び半年間の取引が禁止された。その解禁がきっかり2週間後の7月8日になる。
 いよいよ支那の崩壊にも拍車がかかる。
 そして、また円高になるんだろうな……。
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『帰ってきたヒトラー』

 現代にタイムスリップしたヒトラーが物まね芸人に間違えられ、テレビで当時のまんまの主張をしていると、正鵠を射ていると絶賛され人気スターになっていく。
 タイムスリップものと括ると珍しくはないが、タイムスリップに理由付けを何もせず、ただポンとヒトラーを現代に置いたところは潔くて面白い。それに、ピーター・セラーズとハル・アシュビーの遺作となった『チャンス(原題;Being There)』を思い出させる設定に最も惹かれた。『チャンス』は、知的な障害のある庭師のチャンシー・ガーディナーの善意の発言を、周囲が勝手に良いように解釈して大統領候補にまで祀り上げていく話なのだが、昔のまんまのヒトラーの発言が現代にも通用し、しかも絶賛されるという設定は、聞いただけでもなるほどと膝を打ちたくなってしまう。プロットを聞いただけで見たくなる作品だ。
 だが、結果から言うと、もっと笑えても良かったのではないかと思った。ボクの期待が大きすぎた部分は否めないが……。
 作品中、所々にヒトラーのナレーションが入る。しかも、後日、客観的に自分を見ているようなナレーションだ。これに少なからぬ違和感を感じたりしたが、基本的には脚本は良くできていたと思う。ヒトラー役の俳優はクスリとも笑わずヒトラーになりきっていたし、その演技方針で間違いないと思う。たぶん、カメラとか編集とか演出の問題なのだろうと思う。つまり『間』の問題だ。コメディー映画は、言葉の違いなどもあって、この『間』をつかむのが難しい。
 自分でもシャキッと理由を言うことができないのが歯がゆいのだが、なんかテンポが悪い気がする。原作は未読だが買ってしまってあるので、それを読んでから、ビデオ化されてから、もしくはWOWOWで改めてまた見てみたいと思う。何が良くなかったのか、問題意識をもって勉強のつもりでもう一度見直してみたい。

 ところで、
 イギリスではユーロからの離脱か残留かを決める国民投票が始まったが(6月23日)、争点となる大きな項目の一つが移民問題である。ところが、『移民』と言えば、ドーバー海峡で守られているイギリスよりも陸つづきのドイツの方が頭を痛めている問題だ。ナチスによる民族浄化を推し進めた贖罪もあり、寛容に移民を受け容れなければならないお国事情もあったし、そもそも『安い労働力』として多くの移民を利用してきたからだ。そのおかげもあってユーロで一番の稼ぎ頭になっているドイツだったが、フォルクス・ワーゲンがあの体たらくで、堅調だった経済にも陰りが見え始め、ちぃとばかり状況が変わり始めた。更には、移民が増えれば犯罪も増えるというわけで、沖縄の基地問題と同じ発想で、移民はすべて犯罪者だから誰もかれもみんな出て行けとなっている。
 原作は2012年の発表らしいが、映画は2015年の公開で舞台設定は2014年となっている。移民問題も盛り込まれていた。長く深く根付いた問題なのだろう。ドイツではタブーであろうユダヤ人ジョークなども盛り込まれていて、このへんの攻めの姿勢は高く評価したい。

トランプ

 沖縄で米軍基地で働く軍人(軍属)が犯罪を犯した。だから米軍基地は日本から出て行け。
 アメリカでモスクに通うイスラム信者が犯罪を犯した。だからイスラムはアメリカから出て行け。
 どこがどう違うんだ?
 誰か教えてくれ。

もうすぐ参院選『民共合作』

 歴史は勉強しなければならないと思う。
 かつて日本と支那が戦争した時、統制の取れた日本軍に全く刃が立たなかった支那は、(詳しい経緯は省くが)蒋介石率いる国民党軍と毛沢東率いる共産党軍が手を組んで一緒に戦うことにした。これを『国共合作』という(1924〜27年、37〜46年)。日本という強大な敵と戦うためには、仲間割れしている場合じゃないというわけだ。
 ところが、国共合作を持ちかけた共産党の狙いは、本当は別の所にあった。
 盧溝橋事件の翌月、1937年8月22日、陝西省洛川で開かれた中共中央政治局拡大会議(洛川会議)で毛沢東が出した『極秘命令』がある。極秘すぎて文字化されなかったその内容を、1940年になって八路軍から逃げ出した八路軍独立第一師共産支部の李法卿書記など多くの幹部が証言している。その内容は、以下のようなものだった。
「中日の戦いは、我が党(中国共産党)の発展にとって絶好の機会だ。我が軍の兵力のうち、70%は我が党の発展(強大化)のために使い、20%は国民党との妥協のために使う。残りの10%だけを抗日戦争のために使う」
 つまり、日本と国民党を戦わせ、共産党が漁夫の利を得ようというわけだ。毛沢東の第一の狙いは支那の覇者になることだったのである。邪魔な日本と、それ以上に邪魔な蒋介石の国民党を排除することが国共合作の目的だった。実際、大東亜戦争後、疲弊した国民党軍は台湾島に駆逐され、毛沢東の共産党軍が中華人民共和国を建国した。
 1950年代半ば、毛沢東が元日本軍の遠藤三郎さん(陸軍中将)に会い、
「日本軍が中国に侵攻してきたことに感謝する」
 と言ったことは、秘密でも何でもない有名な話である。
 これが『国共合作』の真実だ。

 ところで、来月10日に日本で参議院議員選挙がある。
 民進党と共産党が選挙協力をするらしい。いわば『民共合作』だ。野党第一党の民進党としては、自民党の一強打破を目指しての苦肉の策らしいのだが、果たして共産党の狙いはいずこにやある……?
 本当につくづく思う。正しい歴史を学ばなければならないと。

『マネーモンスター』

 高い経済発展が見込まれる新興国を『BRICS』とか総称し、それが、ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカのことだとか、もはやBRICSも時代遅れだとか……。社会人の一般教養としてそれくらいは知っておきなさいと、そんな経済知識を押し付けられる。
 ところがである。自分の不勉強もあって最近知ったことなのだが、BRICSなる用語はゴールドマン・サックスが作った造語なのだとか。要は、株屋の総元締めが新興国の株を買えと言っているだけなのだ。ファッション界の総元締めが「今年の流行は赤」と勝手に決めて赤い服を買わせている構造と同じだ。
 実際、ブラジルやロシアなどの資源輸出に頼ってきた国は原油安のせいで今や混乱の真っ最中だ。インドくらいはまだ成長が見込めるのかもしれないが、南アフリカのことも含め、ボクが不勉強なだけで、既に何か危ないのかもしれない。中国に関しては今更言うこともない。

 サブプライム・ローンを売りまくって世界を混乱に陥れておきながら、何の反省もなければ何ら法的な制裁を加えられることもなく、詐欺行為を延々と繰り返す。それが株屋だ。そんな株屋のショー番組が『マネーモンスター』。番組お薦めの株を買って大損をこいた男が、番組司会者を人質にとって番組をジャックする。しかも、大損の元になった会社は裏で株価を操作しているような疑惑があり……、というストーリー。
 この手の作品はネタバレに注意して話さなければならないのだが、映画紹介や宣伝でコメントされているストーリーそのままで、それ以上でもなければそれ以下でもない……ってことを言ってしまうのがネタバレか? 実は犯人と人質がグルだったみたいなドンデン返しがあったとしても、取ってつけた感しか残らないだろうから、まぁ妥当な現実路線で無難にまとめたとも言えるが……、ジョージ・クルーニーとジュリア・ロバーツの2大スターの共演も至極まっとうな役どころで、意外性はなかったし……。
 そういえば、この作品にも『ハッカー』という存在が出てくる。株価操作のことは勿論、パソコン操作も不案内なボクにとり、ハッカーなどというコンピューター使いはまるでヨーダだ。架空の存在に近い。しかし、そんなハッカー観はボクだけに限ったことではないと思う。だからなのか、それを良いことになのか、映画に登場するハッカーたちは、ほぼ何でもできる存在として描かれることが多い。使い勝手の良い、はっきり言ってご都合主義の極まったコマだ。本作に出てくるハッカーもそんな描かれ方をしている。テレビ局スタッフが知り合いのハッカーを使って事の真相を調べていくのだが……、あれはテレビ局員を有能に描きたかったのか、それともFBIやNY市警を無能に描きたかったのか?
 まぁ、所々に不満の残る作品ではあったが、上映時間100分を切るコンパクトさは評価したい。実際は99分だけど、クレジットを無視すれば95分くらいで劇場を後にできる。あ、あと、監督も大スターなんだから、カメオ出演くらいすればよかったのに……。

憲法9条は宗教

 日本が戦争に巻き込まれなかったのは憲法9条があったからと信じている人に、日米安保で核を含めたアメリカ様の傘の下にいたからだと説明しても理解してもらえない。
 もう信じちゃってるんだからどうしようもない。地球の周りを太陽が回っていると信じている人に、太陽の周りを地球が回っていることを理解してもらえないのと同じこと。
 天動説だろうが地動説だろうが、普段の生活を送っていく上には何ら影響はないからな……と思ったら大間違い。天動説のまんまだったら、人類は人工衛星を打ち上げられなかった。気象衛星で天気予報の精度が高くなったのも、GPSで道に迷わなくて済むようになったのも、宗教ではなく科学のおかげだ。コツコツと事実を積み重ね分析し体系づけてまとめ上げたおかげだ。便利な道具や生活に慣れるのは良いが、それを作った人たちの努力や苦労も忘れちゃいけない。信仰は人生に豊かさや安らぎを与えてくれるかもしれないが、厳しい試練や規律も課せられるはずだ。豊かさや安らぎだけに狎れてしまうと、人間はボケてしまう。これを平和ボケという。
 今すぐ地動説を受け容れてくれとは言わない。でも、出来れば、日本の平和には多額のコストがかかっていることくらいは知るべきだ。せめて知ろうとしてほしい。空気も平和も無料ではない。

『高台家の人々』

 見なくなって久しい日本映画だが、テレビのお笑い番組やバラエティ番組を見ていると、スペシャル・ゲストとかの扱いで人気の俳優や女優が出演してくる。何のことはない、映画のパブリシティ宣伝なわけだが……、特に女優だ。どうしてあいつらは、みんな揃いもそろって『天然』ぶるのだ?
 己を可愛く見せるための擬態は、かつては『ぶりっ子』がトレンドだったはずだ。そもそも『ぶりっ子』の正式呼称は『かわい子ぶりっ子』だ。しかし時代も変わり、ぶりっ子をしていると男性からの受けは良くても同性からは嫌悪される。いや、最近は男性からもひかれてしまう傾向があるので、『天然』を装って可愛い子ぶりっ子しているのだと思う。そう、『天然』は『ぶりっ子』の新形態なのだ。詳しく言うと『天然ぶりっこ』なのだ
 この『天然』現象は、女優を専業とする女優に強く見られる。
 最近の日本の映画やドラマの女優たち(俳優もだが)は、女優を専業とする者はむしろ少数派で、アイドルやら歌手やらモデルやらお笑いタレントやらの兼業である場合が多い。その多数派は、それぞれ素を見せてきた本業の場があるので、女優業をやるときだけ天然になってしまっては、これまでのキャラとの整合性がなくなる。だから天然ぶりたくても天然になれないし、なる必要もないのだ。しかし逆に普段あまりバラエティには出ない女優たちは思う存分天然ぶりまくるのである。しかも最近はバラエティ慣れした女優がやたらと多く、天然ぶりがエスカレートしていく傾向にある。
 それにしても手におえないのは、その天然ぶりがあまりにも見え透いているのだ。よくもまぁあそこまで下手くそな演技で女優でございと言ってられるなぁと思うのである。
 たとえば、綾瀬はるかだ。
 どうにかしてくれあの女、見るに堪えん!

『エンド・オブ・キングダム』

 まさかの『エンド・オブ』がシリーズ化である。
 第一作は『ホワイトハウス』。北朝鮮のテロリストにホワイトハウスを占拠され、大統領も人質に。孤軍奮闘のシークレットサービスが大統領を救い出し、テロリストをやっつけるというストーリーだった。
 裏切り者の韓国人の手引きで北朝鮮人のテロリストがホワイトハウスに潜入するという設定はあり得るとしても、圧倒的軍事力を発揮するテロリストが北朝鮮という設定には無理があった。とは言え、冒頭に置かれた13分間の攻撃は、いかにもハリウッドな力こぶを堪能できる良質のアクション・シーンを現出させていたし、その後の展開も往年の『ダイ・ハード』を彷彿とさせるドキドキとハラハラがあり楽しめた。
 そう、『エンド・オブ』がシリーズ化するのなら、本家が失ってしまった『ダイ・ハード』な楽しさを継承してくれるんじゃないかとの期待があった。
 しかし、第2弾の舞台はロンドン。シークレットサービスと大統領という共通項があるだけで、もはやシリーズとしての体をなしていない。

 シリーズ化してシリーズ化の意味を失ってしまうのはハリウッドではよくあることだ。典型的な例ともいえる『ダイ・ハード』の始まりはナカトミ・ビルだった。テロリストに占拠されたビルの中で、妻を人質に取られ、孤軍奮闘頑張る刑事という設定が受けてシリーズ化したわけだが、シリーズ化するからには共通の『くくり』が欲しい。『ダイ・ハード』シリーズのそれは、閉鎖空間と人質と孤軍奮闘の三本立てだった。というわけで、第2弾の舞台は空港になる。着陸待ちの飛行機に奥さんもいた。この第2弾は『くくり』も生きていたし、アクションのスピーディーさも受け、人によっては『1』以上に高評価する人もいたほどのヒット作となった。
 が、それ以降がいけない。第3弾は舞台をニューヨークとしてしまった。マンハッタン島という島に閉じ込められたとは、宣伝文句にしたって苦しい言い訳。ニューヨーク市民が人質なんて言うのは更に苦しい。孤軍奮闘でもなくなり、相棒が加わってのバディ・アクションになってしまった。もはや『ダイ・ハード』でなくてもいいじゃないと言われ始めたが、『4』も作られた。ここまでくると『くくり』の観念は完全に消え去り、コンピューターおたくと一緒にアメリカ中を駆け巡るし、娘まで出てくる。『5』に至ってはロシアにまで飛び出し、息子と一緒に暴れまわる。気が付けば『ダイ・ハード』は家族と一緒に地球を救うという別の『くくり』に変わってしまった。

 アメリカは今、テレビドラマ・シリーズが好調だ。『24』や『LOST』を知らない人はまずいないし、『ブレイキング・バッド』や『ウォーキング・デッド』『ゲーム・オブ・スローンズ』などなど、良質の作品は枚挙にいとまがない。とは言え、シリーズを重ね、出演者のギャラが高騰して終焉に向かう例もあるが、中には脚本が苦しくなって終わるシリーズもある。映画業界も同じことだ。2匹目3匹目4匹目のドジョウが欲しい気持ちも分からないではないが、つづけりゃ良いってもんじゃない。

『スノーホワイト 氷の王国』

 大して関心はなかったはずなのだが、うっかり観に行ってしまった。ジェシカ・チャステイン、エミリー・ブラント、更にはシャーリーズ・セロンという、今、ハリウッドで最も勢いに乗っている女優たちの共演。この座組みに惹かれてしまったのか。
 座席をネットで予約してからハタと気がついたのだが、そういえばこれは続編映画だった。正しくは前日譚なのだが、2012年公開の『スノーホワイト』がその前作。こちらは、今やベッキーのように失速著しいクリステン・スチュワートが主演だったのは覚えていたが、残念ながら内容は全く覚えていない。
 今回新登場となるジェシカ・チャステインが氷の女王という設定になっているのは、アナ雪(2013)の影響なんだろうなぁ。

 ところで、最近は近現代史関連の読書量が増えたせいか、映画が意図しているところとは別の部分で引っかかることも多い。今回は、氷の女王が編成する軍隊の在り様に違和感を感じまくってしまった。
 氷の女王は愛を失った恨みから、兵士たちに愛を禁じた軍隊を作るのだが、軍隊に必要なのは兵隊同士の信頼だ。横の連携や縦の指揮系統がきっちりしていない軍隊は、絶対に戦いに勝てない。日本の2倍や10倍もの戦力や人員を誇った清や支那が、日清戦争でも日中戦争でも日本に負けたのはそのためだ。逆に言うと、強い軍隊は、兵隊同士お互いの信頼関係で結ばれ、厳格な軍律で統率されているということだ。だからこそ、そのアンチテーゼとして『兵隊やくざ』のような名作が生まれるのである。
 そういえば、『兵隊やくざ』には淡路恵子が出演していたっけ。将校相手の芸者音丸という役で、大宮貴三郎(勝新太郎)が通うのだ。たぶん、あの音丸のような芸者たちのことを、朝日新聞のお偉いジャーナリストの皆さんは、いわゆる従軍慰安婦と言っているんだろうなと思う。お堅い朝日新聞のジャーナリストの皆さんには、へそ酒の強要が性奴隷に見えてしまったんだろうなと思う。くわばらくわばら……。
 映画はいささか退屈だったこともあり、こんなことばかり考えていた。

『デッドプール』

 デッドプールとは『死の賭け』という意味。『デップ―』という愛称で呼ばれるほど人気のあるキャラクターらしい。
 初登場は『X-MEN:ウルヴァリン0』。ウルヴァリンと戦う最強の悪役として登場したが、人気の声と主演のライアン・レイノルズ(製作も担当)の熱意に押され、主人公としてスピンオフした……そうなのだが、初登場の時とはずいぶんと設定が違う。切られても刺されても撃たれても再生する不死身な能力は同じだが、それ以外は全部違うと言っていいくらい。初登場時は饒舌がうるさいと言うことで、喋れないように口を縫われていたが、スピンオフした本作は饒舌そのまま。でも、この口の悪い饒舌さがデッドプールの人気の秘密らしい。

 マーベル・ヒーローたちは数年前からディズニー傘下に入り、おかげでアイアンマンやキャプテン・アメリカ、スパイダーマンなどが一堂に会する『アベンジャーズ』企画が成立するようになった。ディズニーと言えば『スター・ウォーズ』も傘下に収めたのだが、その『スター・ウォーズ』の古巣、20世紀フォックス製作による『X-MEN』シリーズだけは、今なお『アベンジャーズ』の枠外だった。
 ところが、本作のデップ―はアベンジャーズやスパイダーマンもネタにして笑いにしていた。そもそもX-MENのメンバーがデップ―をリクルートに来たり、一緒に戦ったりもする展開である。これでいよいよX-MENもアベンジャーズに加わる下地ができたか?
 その『X-MEN』シリーズの最新作『アポカリプス』が先週末にアメリカで公開され、興行的にも批評的にもちょっと期待外れだったとのニュースを読んだ。フォックスと言えば、ハズレ知らずのマーベル映画の中で唯一失敗を繰り返している『ファンタスティック4』シリーズがあるし、いよいよ全部まとめて『アベンジャーズ』に組み入れられるのだろうか……。

 あ、ちなみに、今回のスタン・リーは、ストリップ・スタジオのDJとして出ていました。クレジットもされていた。

「戦後70年」 兵隊さんを思う

 今回は日本人への批判だ。
 でもその前に、やっぱり支那から引用しなければならないことがある。支那の『愚民論(愚民思想)』という考え方だ。
 愚民論とは、人間には「生まれながらに知る者」「学んで知る者」「学んでも知らぬ者」の3種類があり、『極々一部の支配層が愚かな民衆を支配する』という考え方だ。愚民論で注意しなければならないのは、一部の選民が大衆を「支配する」という考え方だ。決して「教え」たり「導く」ものではない。むしろ逆で、教えたりせず、導いたりせず、一部の選民が大衆を「支配」し「酷使」し「収奪」するのだ。今の中国(中華人民共和国)を見れば分かることだが、別に今に始まった話ではない。彼らが言う所の「中国4千年の歴史」が正しいとするならば、歴史の始まった4千年前から一貫している事実だ。あの孔子様も「これを治めるべし、知らしむべからず」と仰ってお墨付きを与えている。そんな思想の人たちが共産主義だとか社会主義だとか言っているのだから呆れるばかりだが、今回はそんな話ではない。
 愚民思想は、当然、軍政にも反映される。「良い鉄は釘にはしない」という諺、というか格言があるらしく、兵隊には最下層の悪い鉄が使われる。鉄砲を担いで突撃していく兵隊は消耗品という発想だ。世界で最も人命が安い国と言われる所以でもある。もちろん、「生まれながらに知る者」は最初から兵役免除だ。「学んで知る者」も金さえ払えば免除される。だから、「学んでも知らぬ者」が兵隊になる。というか、させられる。つまり、農民のことだ。
 兵隊は『抓壮丁』という方法で集められる。分かり易い日本語に翻訳すると、『拉致』とか『誘拐』だ。官吏が農作業中の農民を捕まえ、道行く人を拉致し、戦地に連行する。逃げられないように縄や鎖でつなぐ。小便も大便も繋がれた全員で一斉にやる。歩いている途中でもよおしてきたら垂れ流すしかない。食べ物があればいいが、なければ飢えるしかない。だから徴兵されてから戦地に到着するまでの間に多くが死んだ。一つの村から7百人が拉致され、戦地にたどり着いた時は17人になっていたという話しもある。これは極端な例としても、十人中八、九人が死んだらしい。「そんなバカな。それだと戦場で死んだ人より、戦場に行く途中で死んだ人の方が多くなっちゃうじゃないか」と思うだろう。実は「そんなバカな」なのだ。その通りなのである。連行途中に死んだ兵隊の正確な人数など調べようもないが、965万人という試算もある。これは中国人が調査して中国人が書いた中国語の本に書いてあることだ。(その本が習王朝の支那で手に入るかどうかは知らないが。)だから、戦後、ナチス・ドイツがユダヤ人にしたことを知っても、中国人は驚かなかったらしい。「自分たちがやっていたことと同じだ」と言ったと、その本に書いてある。

 で、ようやく日本の話につながる。 
 太平洋戦争(正しくは大東亜戦争)を戦っている時はそんなことなかったはずなのだが、戦後の日本人はどうもこの『愚民論』に染まっているように思う。
 大東亜戦争に出征した人たちを、帰還兵や抑留帰還者の皆さん全てを、今の人たちは『戦犯』扱いしていやしないか。本来なら人殺しで裁かれるべき人たちなのに、戦争のおかげで、人殺しが多すぎて死刑にならずに生き延びている人たちと考えていやしないか。
 本来、兵隊さんは尊敬されるべき存在であるはずだ。自分の命をなげうって、銃後の国民を守ってくれているのだ。いわば国の英雄である。日本以外の国はみなそうだ。おっと、中国も例外だった。だが、中国も表向きは兵隊さんを英雄扱いしている。
 兵隊さんを戦犯扱いしている人たちの多くは、「日本は侵略戦争を仕掛けたんだから加害者だ」と思っているのかもしれない。「普段は大人しい普通の人だったのに、戦争で人格が変わり悪魔になってしまった」と考えているのかもしれない。
 今はその間違った考えを正す反論は敢えて控えるが、たとえそうだったとしても、兵隊の皆さんは国のために戦ったのだ。兵隊さんが戦ってくれたおかげで今の生活があり、平和があるのだ。「戦ってくれてありがとうございました」という感謝の気持ちは一片もないのか、「お疲れ様でした」とか「ご苦労様でした」という労いの気持ちすらないのか……と思う。

 何故こんなことを思ったかというと、昨夜(6月1日)、去年制作された戦後70年企画の番組を鑑賞し感想を話しあうという会あって、それに参加したからだ。こんな思いをすることは分かり切っていたのだが、断れるものなら断りたかったのだが、ボクにも『都政への裏切り』、いや『渡世の義理』というものがある。
 その番組は、とある村の戦争の生き証人たちへのインタビューをまとめたものだ。70歳でも戦争を知らない世代になってしまった今となっては、生き証人とは言っても、ほとんどは子ども時代の話である。それでも、90歳を超えた戦場経験者の話が2つ、3つあった。その話は、飛行訓練中に終戦を迎えて特攻に行かずに生き残ったとか、ソ連に抑留されたとかを言うだけで、戦場で戦った話はなかった。すると、参加者の中から、
「戦場で戦った話が少ない。やはり、加害の話はしにくいんだ」
 という意見が出た。その意見は、ボクを除いた満場一致で受け入れられたみたいだった。悲しい話である。
 その発言者に悪気がないことは分かる。社会貢献をしている意識もあるだろう。その意味ではボクなんかよりもはるかに立派だ。でも、だからこそ知ってほしい。あなたが言っている言葉の裏には、
「70年も経ったんだから、もう時効ですよ。今まで誰にも言えずに苦しんだんでしょう。懺悔すれば許されますよ。死ぬ前に話して楽になりなさい」
 という愚民を見くだす意識があるんですよ、ということを……。
プロフィール

辰之介

Author:辰之介
映画ファン歴40年。
映画やドラマを観る日本人の審美眼を真剣に憂える。

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