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『ドント・ブリーズ』

 頭にドの一字を冠したくなるような『変態ホラー・サスペンス』ではあるが、この無茶苦茶なまでの疾走感にボクは手放しの賞賛を送りたい。映画のコピーに『20年に一本の恐怖の作品』とあるが、その賛辞は大袈裟でない!
 ツッコミを入れようと思えば辻褄の合わないことはたくさんある。でも、そんなツッコミが、大人げなくも取るに足りない些細なことであると感じさせてくれる。シャレの分らないダサい奴になってしまうのである。そう、これは『感じる映画』なのだ。
「Don't think, Feeeeeeel」
 なのである。

 空き巣狙いの若者ギャングが一人暮らしの盲目の老人宅に忍び込み、金を盗もうとする。ちょろいと思われた仕事だったが、その老人はイラク戦争で失明した元軍人でやたらと強く、かすかな気配でも感じると躊躇なくピストルを撃ってくる。強盗たちのほうが逆に追い詰められていき……、気がつくと、こちら観客側も強盗たちと一緒に息をつめてスクリーンを見守る展開になっていく。
 登場人物はドロボウの3人組と老人、それに老人が買っている番犬。合わせてたったの(ほぼ)4人と1匹。88分という圧縮された上映時間に、これでもかこれでもかとまさかの展開や罠が仕掛けられている。老人の一軒家が舞台という設定も良い。『ダイ・ハード』や『スピード』の例を出すまでもないが、ビルとかバスとかの限定された空間が緊迫感を生み出すのだ。ネタバレになってしまうといけないが、盲目の老人を含め誰一人として善人がいないところがまた良い。過疎化の著しい街デトロイトという設定も勝因の一つだ。陸の孤島というか荒野の一軒家という構図になっていて、たった4人と1匹がまさに入り乱れて存分に殺し合えるのだ。
 冒頭でも述べたが、本作には辻褄の合わないツッコミどころが満載だ。しかし、それさえもこの作品の魅力になっているのである。無理をねじ伏せる強引なまでのまさかの展開。得てして失敗に陥る危険性のほうが高いのだが、それを忘れさせ乗り越えさせてしまうほどの観客を楽しませよう(怖がらせよう)とするパワーが、この作品にはある。監督の演出、役者の演技、脚本と構成の妙など、映画的な面白さの要素がエンターテイメントとして昇華した時に初めて得られる現象だ。
 これは滅多に起こらない現象である。ボクは映画ファンを40年近く続けているが、この現象に巡り合えたのはまだ2回目である。そう、シュワルツェネッガーの『コマンドー』だ。シュワルツェネッガーの肉体と力こぶだけで無茶な展開を無理やりねじ伏せ、観客を納得させ、且つぐいぐい引っ張っていくストーリー構成、あの映画ならではの興奮と爽快感を、種類こそ違えどこの作品にも感じたのである! だからボクは冒頭の賛辞をもう一度繰り返させてもらう。
 映画のコピーに『20年に一本の恐怖の作品』とあるが、その賛辞は大袈裟でない!

『Don't Breathe』フェデ・アルバレス監督、2016年、アメリカ、88分
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『ヒトラーの忘れもの』

 原題は『Land of Mine』。スクリーンにこう映し出された時、ボクは『わたしの国』とか『祖国』と意訳して観ていた。冒頭、ベルギー人の軍曹が捕虜になったドイツ兵士の列に殴りかかり、「おれの国から出ていけ!」と罵っていたこともあり、てっきりそういう意味だと思っていた。ヒトラーの『わが闘争』も原語は『マイン・カンフ』なので、そう信じて疑わなかった。が、後で調べてみると、『mine』には『炭鉱』の意味があったし、そもそも『地雷』の意味があった。『マイン・カンフ』も調べてみると、『Mein Kampf』で綴りが違っていた。(ちなみに、ネットで調べると、『Under Sandet』という原題表記もあった。ベルギー語なのかドイツ語なのか、『sandet』の訳が見つからない。『砂』だろうか?)

 第二次世界大戦直後、ベルギーの海岸線にナチスが埋めた200万個以上の地雷をドイツ軍兵士に回収させる。その多くが15歳から18歳の少年兵で、従事した数千人の半分近くが死亡したり負傷した……、という史実を基にした作品。
 いつドカンとくるか分からないのが地雷。監督の演出力の見せどころであり、緊張感があふれ、ついつい肩の凝ってしまう映画だった。
 物語の展開上当然でもあるので少々のネタバレはさせていただくが、もちろん地雷は何回か爆発する。もちろん少年の何人かが死ぬ。この少年たちを冒頭の鬼軍曹が指揮する。食料も与えず休みもとらせず、まさしく鬼の軍曹……なのだが、やがて情にほだされていく一面が現れるのだ。鬼軍曹と少年兵が冗談を言って笑いあったりするくだりもある。
 ドイツ兵も少年兵だからという部分もあるのかもしれないが、(展開として拙速すぎる部分も感じなくはなかったが)そんな心の通う日常が描かれている点が特に素晴らしい。
 近年になってからのことではあると思うが、ドイツ軍の描き方が『リアル』に近づいてきていると感じる。少なくとも型にはまったステレオ・タイプではなくなってきている。人間味を加えたドイツ兵が登場するようになってきた。以前なら、ナチスの描き方と言えば、人間性などはゼロだった。ただただ機械的にユダヤ人を殺し、連合国相手に大砲をぶっ放すだけだった。ショッカーの戦闘員並みに情緒も知性もなく描かれるばかりだった。
 戦後も70年以上が経ち、当時のドイツやナチスに対する正しい検証や反省がされるようになってきた気がする。もちろん、ヒトラーという絶対悪があり、それが揺るぐことのない軸足となっているおかげなのかもしれない。そして何より、ベルギーだけでなく米英仏などの連合国が実際にドイツと激しく戦った事実があるからだろう。
 翻って、日本軍に関してはいまだに定型のままなのは(正しい検証が行われる兆しすらないのは)、ヒトラーのような絶対悪が『実際には』存在していないし、日本は支那や韓国とは戦争をしていないからだろう。
 GHQによって太平洋戦争と言い換えさせられた『大東亜戦争』の本質は、白人支配の帝国主義に対する有色人種の独立戦争であったわけだし、そもそも日本軍には『絶対悪』など存在しない。軍部とか天皇をソレにしようとする洗脳政策(WGIP)もあったが、今なお圧倒的な効果が残っているとはいえ、幸か不幸か朝鮮戦争のおかげで不徹底に終わったため、少数派ではあるがボクのように洗脳から解放された人たちもいる。大東亜戦争に関しては、戦勝国の側にあまりにもたくさんの不都合な真実があるため、正しく歴史を検証しようとすることができないでいるのが現状だ。
 そして、支那と韓国だ。大東亜戦争時に日本軍が現在の支那大陸で戦った相手は蒋介石が率いる国民党であり、その他多くの軍閥だった。現在の中華人民共和国の主体である共産党は常に逃げまくっていたわけだし、戦わずに力を蓄える作戦をとったからこそ戦後の国民党との内乱に勝利でき、今の中国を建国できたわけだ。韓国に関しては何をか言わん。戦った相手どころか、日本の一部だったではないか。日本が負けるやいなや勝った側に寝返るいつもの軽薄さで戦勝国のふりをしているだけだ。これまた歴史を検証しようとすると不都合な事実ばかりが露見してしまう。
 日本軍の描写と言えば、南京大虐殺のような蛮行や歩兵に対する鉄拳制裁、特攻隊の強要などが定型となっている。しかし、GHQが焚書にした図書の中には、部下を思いやる上官の優しさや思いやり、のどかさや笑いもあった軍での生活が描かれた作品もある。
 戦争は善悪で勝ち負けが決まるわけではない。しかし、常に歴史を書くのは善でも悪でもなく勝った側だ。

『Land of Mine』マーチン・ピータ・サンフリト監督、2015年、101分、デンマーク・ドイツ

『シークレット・オブ・モンスター』

 支那では、長く続いた『一人っ子政策』のツケで、子どもたちが我が侭ほうだいに甘やかされて育ち、そんな子どもたちを『小皇帝』と呼ぶらしい。ゆとり世代の日本の若者にも辟易させられるが、国全体としてマナーや礼節を排除しているだけに、小皇帝のそれは日本のゆとりの比ではないらしい。
 そんな一人っ子の我が侭を描いたに過ぎないのが、本作『シークレット・オブ・モンスター』である。
 独裁者の少年時代を描いた問題作とか、ジャン・ポール・サルトルの短編が原作とか、予告編に流れるオドロオドロしいサウンド・トラックとか、思わせぶりな宣伝文句と演出に惹かれてつい観に行ってしまったが、しょっぱい映画だった。
 主人公の少年は、確かに悪がガキだ。度を越えたところもある。親も甘やかしている。だが、それが将来恐るべき独裁者(もちろんヒトラーをイメージしている)と化していく原点なのだと言われても、あの程度の我が侭なガキなら、大半がそうだとは言わないまでも、そこらじゅうに掃いて捨てるほどいる。あれが皆ヒトラーになるなら、支那の一人っ子はみんな習近平になってしまう。
 主人公のガキが母親に反抗して部屋に立てこもるのだが、その原因は、大好きな家政婦のおばさんを母親がクビにしてしまったからだ。家政婦がガキを甘やかしたからではあるが、何らの情状酌量もなく、詫びも聞かず、問答無用に切り捨てたからだ。ガキの反応はある意味、理にかなっているのである。体調不良か偏頭痛か知らないが、己の気分で長年勤めてきた家政婦をばっさり切り捨てる母親のほうがよっぽどモンスターだった。
 主人公の少年に組織を作っていく天性の才能があるだとか、人を操る悪魔的な魅力があるだとか、そんな片鱗でも垣間見させてくれないと、ただ反抗的で暴力的なだけで、はい独裁者の子ども時代でございと言われましても、なんだかなぁ……という塩梅。
 ま、いずれ忘れる作品だからどうでもいいが……。
 あ、ちなみに原題は『The Childhood of a Leader』。意訳もほどほどに。

ブラディ・コーベット監督、2015年、イギリス・ハンガリー・フランス、116分

『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』

 『スター・ウォーズ』がディズニーに移ってからの2作目。
 エピソード7にあたる『フォースの覚醒』でも感じたことだが、新しい『スター・ウォーズ』は、『スター・ウォーズ』を観て育った映画ファンが『スター・ウォーズ愛』を注ぎ込んで作っているということ。JJエイブラムスは1966年生まれの50歳で、まさにドンピシャの小学校高学年で『スター・ウォーズ(1977)』体験をしている。本作の監督ギャレス・エドワーズは1975年生まれの41歳だから追体験ではあるようだが、(1964年生まれの)ボクが『ウルトラマン(1966年放送開始)』を再放送で楽しんだのに近い追体験ではなかろうか。実際、彼は幼少期に観た『スター・ウォーズ』が映画の原体験だと語っているらしい。
 そんな『スター・ウォーズ愛』が随所に感じられる。なんといってもその世界観が素晴らしい。シリーズとしての整合性を第一に優先させて作られている。むしろ、整合性をいかに持たせるかに主眼が置かれている。本作はかねてから喧伝されているように『エピソード4』に直結する話なだけに、約40年前の世界観を再現することに全力が注がれていると言っても過言ではないくらいだ。『エピソード4』を百回以上は観て、各シーンが脳裏に焼き付いている人ならともかく、そうでない人は、本作の鑑賞前に『エピソード4』をもう一度観ておくと、より楽しめるのではなかろうか。

 ここからは一切のネタバレを気にせずに書いてしまうが……、
 すでに鬼籍に入っておられるピーター・カッシングや、すっかりおばあちゃんになってしまったキャリー・フィッシャーが、(たぶん)CGで再現されている。あれは、そっくりさんや代役をCGで矯正したりしたレベルでは、恐らくないと思う。『ターミネーター5』で若いころのシュワルツェネッガーがCGで再現されていたから、あのレベルの技術はすでにあるんだと思う。
 しかし、驚くべきはそれだけではない。
 デススター内部のセット美術から光線銃の小道具はもちろんのこと、画作りやカット割りに至るまで『エピソード4』とのシンクロを試みているのである。驚くべきは、同盟軍の女性議員や、『エピソード4』の冒頭でダースベイダーに首の骨を折られて殺される反乱軍の兵隊、それにR2-D2らを逃がしてしまった罪でダースベイダーのフォースでくびき殺される帝国軍の司令官など、役名が出てこない細かなキャスティングに至るまで、40年前の人々が演じているように作られているのがスゴイ!(あれもCGだったのだろうか?)更には、ジャバ族にとらわれていたドロイドや、モスアイズリー空港の酒場にいた無法者と思しき連中もカメオのように出演してきて、ファンの心をくすぐりまくるのだ。世界中にあふれる『スター・ウォーズ』マニアからしてみればほんのペーペーに過ぎないボクでさえ、たった1回の鑑賞でたくさんの符合に気づいたのだ、この先マニアたちがアップしてくるであろうこの手の情報はどこまでの深部に迫っていくのか、その深まりに期待をしたい。

 前作の『Godzilla』の体たらくや、幹部試写のあと追加撮影を命じられたとかの事前情報で心配していた本作だったが、ギャレス・エドワーズ監督は持ち前の『スター・ウォーズ愛』で、見事に素晴らしい作品に仕上げてくれたと感謝したい。

嘘をつく

 民主党改め民進党の党首となった蓮舫氏が、昨日、国会での党首対談で安倍首相に対し、
「息をするように嘘をつく」
 と言って貶めた。
 ところで、『うそをつく』を漢字で書くと『嘘を吐く』となる。つまり、嘘は『吐(は)く』ものなのである。だから、嘘ばかりつく人を貶めて言うときは、
「息を吐(は)くように嘘を吐(つ)く」
 と言ったほうがセンスがあると思う。
 ちなみに、民進党が民主党だったころだからちょっと以前のことになるのだが、作家の百田尚樹氏は民主党のことを、
「息を吐くように嘘をつく」
 と表現されていた。さすが作家である。
 レンホーが「息をするように嘘をつく」の表現をどこから拾ってきたのか知らないが、超絶妙技の得意技ブーメランがあるだけに、案外、本当にもしかしたら百田氏の発言がネタ元だったかもしれない、などと思ってしまう。
 それにしても、マスコミ受けを狙っていたのだろうが、今年の流行語に選ばれた「神ってる」も答弁の中に織り込んでいたけど、文脈に馴染んでいなくて無理やりねじ込んだ違和感ばかりが強かったですよ、レンホーさん。
 嗚呼、嗚呼、民進党……。

『ジュリエッタ』

スペインの巨匠ペドロ・アルモドバル監督の新作ということで観に行った。
世間一般の評価で言えば、『オール・アバウト・マイ・マザー』や『ボルベール(帰郷)』『抱擁のかけら』などが高いようだが、ボクはいまいちだったり見ていなかったり。でも、『トーク・トゥ・ハー』『私が、生きる肌』など、ぶっとんで面白いと感じた作品もある。プロデュースでからんだだけだったが、『人生スイッチ』も面白かった。ボクにとっては玉石混交なわけだが、時間さえ許せばチェックしておきたい作家である。
 で、本作の『ジュリエッタ』なのだが、ボクにとっては『石』のほうだったかな。
 アルモドバルっぽいオドロオドロしさや偏執的な雰囲気がそこはかとなく画面に漂ってはいるのだが、トータルしていうと普通のメロドラマだったように思う。まぁ、ボクの読み取り方が浅かっただけかもしれないが……。

監督ペドロ・アルモドバル、2016年、スペイン、96分
プロフィール

辰之介

Author:辰之介
映画ファン歴40年。
映画やドラマを観る日本人の審美眼を真剣に憂える。

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