スポットライト 世紀のスクープ

☆ (一見の価値はあると思う。何と言っても作品賞だしね。)

 カソリック教会が子どもに性的虐待をしていたスクープを記事にした新聞記者たちの物語。ボストン・グローブ紙の特集記事欄『スポットライト』のチームが実際にピューリッツァ賞を受賞した事実を基に描かれている。ドキュメンタリー・タッチの作品だからと安易に手持ちカメラを多用するのではなく、三脚に据えたカメラでしっかり撮っているところにも好感が持てる。本年のアカデミー作品賞を受賞作した力作である。

 去年9月、支那の集金兵(習近平)が訪米しても米国内で全くニュースにならなかったのは、これまで大切に育ててあげた飼い犬が恩を忘れて噛みつきだしたことへのお仕置きの意味もあるが、同時期に訪米していたローマ法王のニュースが最優先だったことも大きい。それだけ米国では、今なおカソリック教会の人気は絶大なのだ。そして、大いなる人気には大いなる権力も伴い、しかも絶大なのである。そんな巨大権力に抗い、教会の悪事を暴いたと言う意味で、報道マンとしてのあるべき姿が描かれている……と思って観に行った。
 ところが、なんか違和感がある。
 というのも、教会による児童への性的虐待は、スポットライトの記事が初出ではないのだ。既に既報なのだ。馬から落馬みたいに書いてしまったが、既に十年以上も前から伝えられ、記事にもなっていた事件なのである。スポットライトがスクープしたのは、その手の性的虐待は日常的で、やたらと事案が多くて、しかも組織的に隠ぺいされていたという部分なのである。つまり、児童虐待の神父は、しばらくの謹慎ののち、教区を替えて神父をつづけ、更なる児童虐待をつづけていたのである。で、それを訴える被害者団体がすでにあり、ボストン・グローブ紙も、そんな彼らの声や訴えを聞いていながら無視していたのである。児童虐待には過敏なはずだと思うのだが、相手がカソリック教会だと、そのへんも甘くなるのか? なんともかんとも腑に落ちず、困惑からくる混乱で集中できなかった部分もあるが、居眠りはしなかったので大筋は捉え違えていないはずなのだが……。新任の編集長からこの取材は始まるのだが、彼がユダヤ系という設定にも深い意味があったのか? 宗教がらみはよくわからないので、久しぶりにパンフレットを購入した。今度じっくり読んでみようと思う。
 そういえば、カソリックとプロテスタントの違いを説いた『モンティ・パイソン/人生狂騒曲(The Meaning of Life)』を思い出した。モンティ・パイソン曰く、「性交の際、コンドームをつけてはいけないのがカソリックで、つけて良いのがプロテスタントだ」と言う。この戒律のおかげでカソリックは子だくさんで、信者数の維持が行われているとのこと。さすが我らのモンティ・パイソン。鋭い分析力である。この戒律のおかげで、カソリックの神父様たちは性欲のはけ口も維持されていたことが分かる。

 色々と書いたが、カソリック文化の分かり得ない部分もあるが、この映画で描かれている『調査報道』の手法や記者の姿勢は一見に値する。被害者の言い分を足で取材して裏付けを取り、法廷証言などで更なる検証と証拠集めをし、且つまた加害者側の言い分も取り上げる。そんな『調査報道』の姿は、記者クラブを通した記者会見での発表記事の要約作業を『取材』と言い、嘘しか言わない支那人や朝鮮人の言い分だけを筆記して何らの検証も行わないことを『特ダネ』と言う朝日新聞の記者たちは特に必見である。


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辰之介

Author:辰之介
映画ファン歴40年。
映画やドラマを観る日本人の審美眼を真剣に憂える。

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