『FAKE』

 全聾の作曲家、現代のベートーベンとか言われたペテン師、佐村河内守に密着したドキュメンタリー。彼は本当にペテン師だったのか、それとも……?
 ラスト12分に衝撃の事実が映し出されているとかでヒットしているらしいのだが、ボクにとっては佐村河内も、号泣県議の野々村竜太郎も、スタップ細胞の小保方晴子も、いっしょくたにワイドショー・ネタに過ぎず、一切の興味がなかった。
 そもそも、楽譜を読み書きできない全聾の佐村河内と、手話のできない作曲家・新垣隆の二人が、どうやったら意思疎通が図かれ、しかも交響曲を作ることが出来るというのだ。イタリア人が和英辞典で中国語を読むのに等しい難事業だ。検証するまでもなく結論は見えている。
 全くもって観る気はなかったのだが……、
 幸か不幸か監督の森達也氏とお会いする機会があり、観に行った。出来ればお会いする前に見ておきたかったのだが、時間の都合がつかず、お会いした後に観に行った。結論から言えば、お会いする前に観なくて良かった。
 会社の先輩から、先入観や決めつけだけで観ないのは良くないと言われたのにも後押しされた。だが、決してジャーナリスティックな意識に目覚めたからというわけではない。
「先輩、あなたの方が先入観や決めつけで社会や政治を見ているんじゃないですか」
 という反発心から、先輩の反論を跳ね返す意味で、カチンと来て観に行ったのだ。あ、誤解なきように付け加えておくが、ボクはこの先輩をとても尊敬している。そんな尊敬する先輩であっても、王道のマスコミ人である先輩は、マスコミ人の典型的なパターンで左に偏っていると言わざるを得ない。その歴史観、早い話が東京裁判丸呑みの自虐史観は改めてもらいたいと思っている。面と向かって言ったことはないが……。ボクもさすがに子どもではないので、それを言ったらお終いということも分かっている。

 ネタバレしてしまうが、ラスト12分に触れる。
 そのラスト12分とは、佐村河内がエレクトーンを使って作曲するシーンである。もしかしたら、本当に佐村河内が作曲をしていたのかと思わせるシーンなのである……と言いたいのだろうが、それに騙されるとしたら、あまりにも現在のコンピューター技術に疎いと言わざるを得ない。今の時代、楽譜が読めなくてもかけなくても作曲は出来る。たとえば、アップルのソフトに、比較的安価に手に入る(機種によっては標準でついてくる)『バンド』というソフトがある。ボクには出来ないが、それは使いこなしていないだけのことで、教えてくれる人がいたらきっと使えるようになるソフトだ。森氏はそんな技術やソフトの存在を知らなかったのか、敢えて無視したか……。

 映画を通して、発見だった部分もないわけではない。それは、ゴーストライターだった新垣隆氏や、文春でこのことをすっぱ抜いた神山典士氏が、森監督のインタビューを避けていたことだ。ネットでググってみたら、神山氏は『FAKE』のことをケチョンケチョンに批判していた。にもかかわらず、自分がインタビューを受けなかったことには何の言及もないのも不可解だ。
 が、やはり、佐村河内は聞こえていた、聞こえているとしか断じようがない。
 これを書いていて思い出したが、そういえば、かつて全盲の写真家というのがいた。(まだいたらごめんなさい。)奥さんだったかの協力者に画角やサイズや絞りを指示してシャッターを押すのだ。全盲の人にも勇気と可能性を与えてくれると、当時マスコミで持てはやされたものだが……、正直、自分にはハテナばかりだった。決して障害者差別をするわけではないが、作者自身が仕上がりや完成品を確認できないものを作品と呼べるのだろうか、いやストレートに言って呼べないと思ってしまうのだ。
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辰之介

Author:辰之介
映画ファン歴40年。
映画やドラマを観る日本人の審美眼を真剣に憂える。

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