ある戦争

 タリバンの攻撃に晒されるアフガニスタンの寒村で平和維持に従事するデンマーク軍。部隊長のクラウスにとって部下の命を守ることは重要な任務。しかし、地雷で吹き飛ばされる部下がいたり、その惨状を目の当たりにしてPTSDみたいになる若い兵士がいたり。ある日、パトロール中にタリバンから攻撃を受け、その若い兵士が重傷を負う。クラウスは緊急搬送用のヘリと、そのヘリが着陸する場所を確保するため、援護の空爆を要請する。ところが、空爆の要請には敵を『視認』することが要件なのだが、あまりに激しい攻撃で敵を確認する余裕がない。このままでは若い負傷兵が死んでしまうというので、クラウスは「敵を見た」ことにして空爆を要請する。その判断のおかげで若い兵士は一命を取り留めるが、空爆地点で子どもたちを含む民間人が11人死亡する。これが重大な国際法違反だとされ、クラウスは本国に強制送還され、軍事裁判にかけられる。前半のアフガニスタンから、映画の後半は軍事裁判へとチェンジする。
 この作品は、足を印象的に見せていく手法が上手い。地雷で吹き飛ばされた兵士の粉々の足、タリバンに殺された村の子どもの足、空爆で死んだ子どもの足、しかもその足は折れ曲がっている。ところどころに印象的な、ドキッとさせられる足のショットが挿入される。そして、クラウスは、寝ている自分の子どもに毛布を掛けるとき、息をしている温かい小さな足を見てしまう。クラウスも観客も、ここで胸をつぶされてしまうのだ。

 後半の軍事裁判は、実に不条理な裁判劇である。なぜなら、銃弾が飛び交う戦場で、人の盾を使う敵を相手に、民間人の被害を出さずに戦うことなど不可能であろう。バカでもなければ誰でも分かりそうなことなのだが、ポリティカル・コレクトネスを振りかざす『人権派』弁護士や検事には何も見えてこないのだ。そう。この裁判が不条理なのは、争点がポリティカル・コレクトネスだからだ。最近覚えた言葉だから、是非使いたい。もう一度言う。
『ポリティカル・コレクトネス』
である(以下、PC)。
直訳すれば『政治的に正しい』。差別はいけませんとか、表現の自由は不可侵だとか、そんな意味なのだが、そんな『ど正論』を錦の御旗にして、度を越えた権利主張に利用されることが多い。だから、マンホールがヒューマンホールに、ブラックボードがチョークボードに言い換えされたりするのはまだ序の口で、「自分たちは差別されている、差別された、だから補償しろ」という論理展開に使われる。要は被差別を生業にしている連中がよく使うヤツだ。特に、ジェンダー・フリーとかを掲げて男のいない社会の実現を目指している女たちがよく使う論理だ。
この映画でも、クラウスの罪を追及する検事は女だった。己の弁舌に酔ってエクスタシーを感じているような、まるでレンホーかミズホーのようだった。うまいキャスティングだった。おっと、こういう表現がまたポリティカル・コレクトネスに引っかかる。
 ま、PCはともかく……、
この作品がアメリカのアカデミー賞で外国語映画賞にノミネートされたらしいのだが、アカデミー賞会員の方々は、この作品をどういうつもりでこの映画を見たのだろう? 東京空襲で10万人、広島長崎の原爆で36万人の民間人が計画的に殺されたはずではなかったっけ……?

 監督・脚本;トビアス・リンホルム、115分、2015年、デンマーク
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辰之介

Author:辰之介
映画ファン歴40年。
映画やドラマを観る日本人の審美眼を真剣に憂える。

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