君の名は。

 無駄の多い作品だ。
 大きく3つの無駄がある。
 まず一つ目だが、男女二人の人格が入れ替わる設定。これはまったく必要ない。観客を惹きつけるフックのつもりなんだろうけど、物語の核心にはまったく関係ないし、根本的なことを言ってしまうと、ない方がスッキリする。ボクは別に潔癖症ではないのだが、大林宣彦の『転校生(1982、原作『おれがあいつであいつがおれで』)』以来の積年の手垢がベットリつきまくりの設定なのである。何の予備知識もなく映画館に入ったボクとしては、この前半部分にうんざりさせられ、あやうく途中で席を立つところだった。後半から展開する彗星衝突の話は楽しめただけに非常に残念である。
 とは言え、その彗星衝突の話にしても、映画を見ながら感じていたことだが……、
乙一の作品にこんなシチュエーションの作品があった。夢とか携帯電話とか雪に書く文字とかで、異次元の人や未来の自分とコミュニケーションをとる話が、乙一の小説にいくつかあった。もう十年近くも前に読んだきりなので、あらかたのストーリーは忘れてしまったが、切なくて良い話だったことだけは覚えている。そんな乙一の設定で、充分、この映画の物語は構築できただろうし、そのほうがスッキリしたはず。
 それにそもそも、この映画の入れ替わりにはリアリティがない。もちろん、ボクはファンタジー作品に対して「そんなことはあり得ないからダメ」などと野暮なツッコミを入れるようなカタブツではない。宇宙人が出てくる話でも、タイムトラベルをする話でも、ゾンビが出てくる話でも、ボクには鷹揚に受け入れられる包容力があるつもりだ。
ここで言うリアリティとは、入れ替わったあとの本人たちのリアクションや周囲の反応にリアリティがないことを指摘しているのだ。自分の身に置き換えて考えてみてほしい。ある朝目が覚めると、そこは見知らぬ部屋の見知らぬ家の見知らぬ町なのだ。しかも自分が見知らぬ女性(あるいは男性)になっているのである。大林の『転校生』は、入れ替わった自分が目の前にいたから、まだ早々に状況が把握できる強みがあった。しかし、本作はそんな手掛かりがまったくない状況にいきなり放り込まれるのである。思春期真っ只中の男の子が女の子のオッパイ揉んで喜んだり、女の子が男の子の身体でトイレで用を足して顔を赤らめたり、なんてレベルのリアクションで済むものではないはずだ。下ネタに走りたくはないが、高校生の健康な男の子なら朝立ちだってしているはずだ。普通の女の子が、ある朝そんな身体で目が覚めたら、その瞬間にショック死したって不思議ではない。ましてや、学校に登校するなどと日常生活を進めようなどとするだろうか? そもそも、どこの誰だかわからない人の通う学校にたどり着けるハズがないではないか。やれるものならやってみろと言ってやりたい。メールや日記でお互いの状況を報告し合えるほどに現状を把握できるようになったら、いやそんなふうになる以前に、まず電話で連絡を取り合うハズではないか! などなど、あまりにもツッコミどころがありすぎて、うんざりさせられた。途中で席を立ちたくなったボクの気持ちも理解してもらいたい。

 二つ目は、これも根本的なことだが、記憶がなくなるという枷だ。と言うか、これも『博士の愛した数式』以降なのか、もしかしたら『アルジャーノンに花束を』や『レナードの朝』以降なのか、『期間限定の記憶』という設定が最近多すぎると思わないか? 世間の皆さまは、本を読まないのか? 本なんか読んでたまるかと言うのなら、いずれもドラマ化や映画化をされているし、それも見ないのか? 一晩とか一週間とか、色んなバリエーションの亜流が濫造されているのだが、見てもやっぱり忘れてしまうのか? ボクだけなのか、「またかよ」感がハンパないのは?

 そして三つめはパンチラ。メカと美少女がアニメの必須条件だとは聞き及んでいる。それなりのお色気を盛ることもサービス精神なのだとは承知している。にしても、教育委員会みたいなお堅いことは言いたかないが、まぁ、あまりにも不必要で無理クリな入れ方だったことは指摘しておきたい。

 歴代興行記録を塗り替えるほどの大ヒットを記録しているようだが、流行ものに振り回される、現代日本人の嫌ぁなポピュリズム部分を見せつけられているようで、非常に気分が悪い。もうちょっと自分の意見を持ち、過去の事例を記憶したり学んだり検証してもらいたいものだ。歴史は大切だ。この映画を手放しに持ち上げているような連中には、猛省を促したい。
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辰之介

Author:辰之介
映画ファン歴40年。
映画やドラマを観る日本人の審美眼を真剣に憂える。

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