『シークレット・オブ・モンスター』

 支那では、長く続いた『一人っ子政策』のツケで、子どもたちが我が侭ほうだいに甘やかされて育ち、そんな子どもたちを『小皇帝』と呼ぶらしい。ゆとり世代の日本の若者にも辟易させられるが、国全体としてマナーや礼節を排除しているだけに、小皇帝のそれは日本のゆとりの比ではないらしい。
 そんな一人っ子の我が侭を描いたに過ぎないのが、本作『シークレット・オブ・モンスター』である。
 独裁者の少年時代を描いた問題作とか、ジャン・ポール・サルトルの短編が原作とか、予告編に流れるオドロオドロしいサウンド・トラックとか、思わせぶりな宣伝文句と演出に惹かれてつい観に行ってしまったが、しょっぱい映画だった。
 主人公の少年は、確かに悪がガキだ。度を越えたところもある。親も甘やかしている。だが、それが将来恐るべき独裁者(もちろんヒトラーをイメージしている)と化していく原点なのだと言われても、あの程度の我が侭なガキなら、大半がそうだとは言わないまでも、そこらじゅうに掃いて捨てるほどいる。あれが皆ヒトラーになるなら、支那の一人っ子はみんな習近平になってしまう。
 主人公のガキが母親に反抗して部屋に立てこもるのだが、その原因は、大好きな家政婦のおばさんを母親がクビにしてしまったからだ。家政婦がガキを甘やかしたからではあるが、何らの情状酌量もなく、詫びも聞かず、問答無用に切り捨てたからだ。ガキの反応はある意味、理にかなっているのである。体調不良か偏頭痛か知らないが、己の気分で長年勤めてきた家政婦をばっさり切り捨てる母親のほうがよっぽどモンスターだった。
 主人公の少年に組織を作っていく天性の才能があるだとか、人を操る悪魔的な魅力があるだとか、そんな片鱗でも垣間見させてくれないと、ただ反抗的で暴力的なだけで、はい独裁者の子ども時代でございと言われましても、なんだかなぁ……という塩梅。
 ま、いずれ忘れる作品だからどうでもいいが……。
 あ、ちなみに原題は『The Childhood of a Leader』。意訳もほどほどに。

ブラディ・コーベット監督、2015年、イギリス・ハンガリー・フランス、116分
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辰之介

Author:辰之介
映画ファン歴40年。
映画やドラマを観る日本人の審美眼を真剣に憂える。

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