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『沈黙』

 『ウェストファレス条約(ウェストファーレン条約)』とは、プロテスタントとカトリックの小競り合いに端を発する30年に及ぶ殺し合い、『三十年戦争(1618~1648)』の末に結ばれた講和条約のこと。
 『沈黙』の時代設定は、劇中で1640年代と言っていたから、ちょうど三十年戦争真っ盛りの頃と考えれば良い。
 ウェストファリア条約をきっかけに、「異教徒だからという理由で無闇に殺しまくるのは良くないよね」という合意が形成されるのだが、それは殺し疲れたからそんな弱気になっただけのこと。だから条約以前の元気いっぱいだった頃は、教皇の命令で異教徒を殺しまくったりしていた。十字軍の遠征もアーサー王の物語も、骨子は大体そんなもん。『聖書』にだって異教徒は殺せと書いてある。それでも、地続きのヨーロッパ地域で互いに殺しあってくれている間はまだ良かった。それが、航海技術を発達させてしまったために、その禍は世界に広がることに。マヤ文明(14世紀頃に滅ぶ)も、アステカ文明(1521年に消滅)も、インカ文明(1533年に消滅)は、そんな悲劇の最たるものだ。大航海時代の先駆けはスペインやポルトガルである。南米の国々がスペイン語とポルトガル語だらけなのはそのためだ。
 そんなキリスト教徒の魔の手はアジアにも及ぶ。日本には宣教師という形でキリスト教徒がやってくる。スペイン出身のフランシスコ・ザビエルやポルトガルのルイス・フロイスなんかがそれ。彼らの目的は、キリスト教を広めることで文教面から未開の異教徒を従えていくことだ。宗教だけでなく鉄砲や望遠鏡、医学などの最新科学を手土産にしたおかげで信長は宣教師を受け入れた。しかし、あらかたの知識を吸収し終えると、キリスト教の横暴が目立ち始める。宣教師らが日本人の若い娘を拉致して、奴隷として海外に売り飛ばしたりし始めたのだ。ウェストファリア条約を結ぼうが結ぶまいが、彼らにとって異教徒はやはり異教徒でしかない。差別の対象だ。ましてや相手が黒人や黄色人種に至っては、異教徒でしかも野蛮人でしかない。
 それに気づいた秀吉が、だからキリスト教を禁止したのだ。家康がそれを強化したのだ。
 そもそも、日本人には、キリスト教などの一神教は、感性として受け容れられないし、知性としても理解できないようにできている。日本は神道の国だ。日本人の心の中には八百万に神が宿っている。年寄りだけの話ではない。若い人も同じだ。チャラいヤカラだって変わらない。だから、「神セブン」だの「神対応」だのの言葉が生まれる。「神ってる」なんて言葉が流行ったりする。日本は神だらけなのだ。
 ただし、これはキリスト教を拒んでいるのではない。キリスト教でも、ユダヤ教でも、イスラム教でも、何でもごったまぜに受け容れてしまうだけの話だ。だからバレンタインだってハロウィンだって受け容れてしまう。わずか一週間の間に、クリスマスではしゃぎ、除夜の鐘を聞いて、初詣に行ったりできるのだ。ユダヤ教やイスラム教の習慣はまだ浸透してきていないが、ラマダンの断食がダイエットに良いとか健康に役立つとか、誰か発信力のある人が言い出せば、PPAPのようにあっという間に広まるだろう。
 日本にキリスト教が根付かないのはそのためだと思う。
 種を蒔いても芽が出ない不毛の土地とか、そういうことではないと思うのだ。

 遠藤周作は大好きで、『沈黙』の原作も高校生くらいに読んではいるが、改めて読む気が起こらない。もうボクも、高校生の感覚でも知識でもないからな。
 それにしてもこの映画、ほんとにスコセッシが監督したのか?
 なんかちっともスコセッシらしくなかったなぁ。
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辰之介

Author:辰之介
映画ファン歴40年。
映画やドラマを観る日本人の審美眼を真剣に憂える。

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