『モアナと伝説の海』

 テレビゲームやらないから想像なんだけど、たぶんRPG(ロール・プレイング・ゲーム)ってこんな感じなんだろうなと思う。仲間見つけて、秘密のアイテムを使って敵と戦い、最後はラスボスと対決。映画がヒットしたら、1面クリアでパート2に続く。
 冒険物語って大体そんなもんでしょと言われればそれまでなんだけど、なんだか定型パターンにはまりすぎていて、なんだかなぁって感じだった。
 吹き替え版しか上映していなかった。英語版で観たかったな。

『ラ・ラ・ランド』

 もっと楽しい作品を期待していた。
 ミュージカルだし、タイトルからして歌ってるし。たとえば『シカゴ』みたいな陽気さを想像し、期待していた。
 でも、それは、この作品を否定するとか、出来が悪いとか言うのとは違う。単にボクの思い込みと違っていただけというだけの話。実際、終わりの数分間はホロッと泣けてきた。
 ただ、全編がもうちょっと楽しければ、ボロッと泣けたに違いないとも思った。
 もしかしたらアカデミー作品賞をとるかもしれない本作、一見の価値はあります。


 あ、そうそう。
 預けていた車を受けだそうとして、車種を聞かれたヒロインが「(トヨタの)プリウス」と答えると、駐車してある車のキーが全部トヨタだったというシーンがあった。
 トランプ新大統領は、ああいうシーンを見て怒ってるのかなぁ?
 でも、アメリカで走っているトヨタ車は70%がアメリカの現地生産で、しかもアメリカに推計150万人の雇用を生み出してるんだそうで。

『マグニフィセント・セブン』

 黒澤明の『七人の侍(1954)』に惚れ込んだユル・ブリンナーが製作に大きく関わり、西部劇でリメイクしたのが『荒野の七人(The Magnificent Seven 1960)』。
 2016年版の本作は、リメイクとかを謳わなくても、最悪許可を取らなくても、ギリギリ叱られないレベルの作品でした。

『沈黙』

 『ウェストファレス条約(ウェストファーレン条約)』とは、プロテスタントとカトリックの小競り合いに端を発する30年に及ぶ殺し合い、『三十年戦争(1618~1648)』の末に結ばれた講和条約のこと。
 『沈黙』の時代設定は、劇中で1640年代と言っていたから、ちょうど三十年戦争真っ盛りの頃と考えれば良い。
 ウェストファリア条約をきっかけに、「異教徒だからという理由で無闇に殺しまくるのは良くないよね」という合意が形成されるのだが、それは殺し疲れたからそんな弱気になっただけのこと。だから条約以前の元気いっぱいだった頃は、教皇の命令で異教徒を殺しまくったりしていた。十字軍の遠征もアーサー王の物語も、骨子は大体そんなもん。『聖書』にだって異教徒は殺せと書いてある。それでも、地続きのヨーロッパ地域で互いに殺しあってくれている間はまだ良かった。それが、航海技術を発達させてしまったために、その禍は世界に広がることに。マヤ文明(14世紀頃に滅ぶ)も、アステカ文明(1521年に消滅)も、インカ文明(1533年に消滅)は、そんな悲劇の最たるものだ。大航海時代の先駆けはスペインやポルトガルである。南米の国々がスペイン語とポルトガル語だらけなのはそのためだ。
 そんなキリスト教徒の魔の手はアジアにも及ぶ。日本には宣教師という形でキリスト教徒がやってくる。スペイン出身のフランシスコ・ザビエルやポルトガルのルイス・フロイスなんかがそれ。彼らの目的は、キリスト教を広めることで文教面から未開の異教徒を従えていくことだ。宗教だけでなく鉄砲や望遠鏡、医学などの最新科学を手土産にしたおかげで信長は宣教師を受け入れた。しかし、あらかたの知識を吸収し終えると、キリスト教の横暴が目立ち始める。宣教師らが日本人の若い娘を拉致して、奴隷として海外に売り飛ばしたりし始めたのだ。ウェストファリア条約を結ぼうが結ぶまいが、彼らにとって異教徒はやはり異教徒でしかない。差別の対象だ。ましてや相手が黒人や黄色人種に至っては、異教徒でしかも野蛮人でしかない。
 それに気づいた秀吉が、だからキリスト教を禁止したのだ。家康がそれを強化したのだ。
 そもそも、日本人には、キリスト教などの一神教は、感性として受け容れられないし、知性としても理解できないようにできている。日本は神道の国だ。日本人の心の中には八百万に神が宿っている。年寄りだけの話ではない。若い人も同じだ。チャラいヤカラだって変わらない。だから、「神セブン」だの「神対応」だのの言葉が生まれる。「神ってる」なんて言葉が流行ったりする。日本は神だらけなのだ。
 ただし、これはキリスト教を拒んでいるのではない。キリスト教でも、ユダヤ教でも、イスラム教でも、何でもごったまぜに受け容れてしまうだけの話だ。だからバレンタインだってハロウィンだって受け容れてしまう。わずか一週間の間に、クリスマスではしゃぎ、除夜の鐘を聞いて、初詣に行ったりできるのだ。ユダヤ教やイスラム教の習慣はまだ浸透してきていないが、ラマダンの断食がダイエットに良いとか健康に役立つとか、誰か発信力のある人が言い出せば、PPAPのようにあっという間に広まるだろう。
 日本にキリスト教が根付かないのはそのためだと思う。
 種を蒔いても芽が出ない不毛の土地とか、そういうことではないと思うのだ。

 遠藤周作は大好きで、『沈黙』の原作も高校生くらいに読んではいるが、改めて読む気が起こらない。もうボクも、高校生の感覚でも知識でもないからな。
 それにしてもこの映画、ほんとにスコセッシが監督したのか?
 なんかちっともスコセッシらしくなかったなぁ。

『ドント・ブリーズ』

 頭にドの一字を冠したくなるような『変態ホラー・サスペンス』ではあるが、この無茶苦茶なまでの疾走感にボクは手放しの賞賛を送りたい。映画のコピーに『20年に一本の恐怖の作品』とあるが、その賛辞は大袈裟でない!
 ツッコミを入れようと思えば辻褄の合わないことはたくさんある。でも、そんなツッコミが、大人げなくも取るに足りない些細なことであると感じさせてくれる。シャレの分らないダサい奴になってしまうのである。そう、これは『感じる映画』なのだ。
「Don't think, Feeeeeeel」
 なのである。

 空き巣狙いの若者ギャングが一人暮らしの盲目の老人宅に忍び込み、金を盗もうとする。ちょろいと思われた仕事だったが、その老人はイラク戦争で失明した元軍人でやたらと強く、かすかな気配でも感じると躊躇なくピストルを撃ってくる。強盗たちのほうが逆に追い詰められていき……、気がつくと、こちら観客側も強盗たちと一緒に息をつめてスクリーンを見守る展開になっていく。
 登場人物はドロボウの3人組と老人、それに老人が買っている番犬。合わせてたったの(ほぼ)4人と1匹。88分という圧縮された上映時間に、これでもかこれでもかとまさかの展開や罠が仕掛けられている。老人の一軒家が舞台という設定も良い。『ダイ・ハード』や『スピード』の例を出すまでもないが、ビルとかバスとかの限定された空間が緊迫感を生み出すのだ。ネタバレになってしまうといけないが、盲目の老人を含め誰一人として善人がいないところがまた良い。過疎化の著しい街デトロイトという設定も勝因の一つだ。陸の孤島というか荒野の一軒家という構図になっていて、たった4人と1匹がまさに入り乱れて存分に殺し合えるのだ。
 冒頭でも述べたが、本作には辻褄の合わないツッコミどころが満載だ。しかし、それさえもこの作品の魅力になっているのである。無理をねじ伏せる強引なまでのまさかの展開。得てして失敗に陥る危険性のほうが高いのだが、それを忘れさせ乗り越えさせてしまうほどの観客を楽しませよう(怖がらせよう)とするパワーが、この作品にはある。監督の演出、役者の演技、脚本と構成の妙など、映画的な面白さの要素がエンターテイメントとして昇華した時に初めて得られる現象だ。
 これは滅多に起こらない現象である。ボクは映画ファンを40年近く続けているが、この現象に巡り合えたのはまだ2回目である。そう、シュワルツェネッガーの『コマンドー』だ。シュワルツェネッガーの肉体と力こぶだけで無茶な展開を無理やりねじ伏せ、観客を納得させ、且つぐいぐい引っ張っていくストーリー構成、あの映画ならではの興奮と爽快感を、種類こそ違えどこの作品にも感じたのである! だからボクは冒頭の賛辞をもう一度繰り返させてもらう。
 映画のコピーに『20年に一本の恐怖の作品』とあるが、その賛辞は大袈裟でない!

『Don't Breathe』フェデ・アルバレス監督、2016年、アメリカ、88分
プロフィール

辰之介

Author:辰之介
映画ファン歴40年。
映画やドラマを観る日本人の審美眼を真剣に憂える。

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